2009年11月14日土曜日

修辞法

修辞法の分類

1.叙述の形と内容の対応
1.1.語音・字形と内容
○声喩(onomatopoeia)
「ほろほろと山吹ちるか滝の音」(松尾芭蕉)
○継起的音喩
「I   like Ike」(アイゼンハワーの大統領選のキャンペーン)、「スカッとさわやかコカコーラ」「でかいどお。北海道。」、「われわれが真理(verite)に捧げているところのものを、彼らは虚栄(vanite)に捧げている」
○字喩(anagram)
「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」(三好達治「郷愁」 母(mere)と 海(mer))

1.2.対称表現
○対照法(antithesis)
「聞いて極楽見て地獄」、「針小棒大」、「温故知新」、「注意一秒怪我一生」
○交差配語法(chiasmus)
「おおよそ、自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるだろう。」(ルカによる福音書)、「窓の沢山ついた大きな建物で、アパートを改造した刑務所かあるいは刑務所を改造したアパートみたいな印象を見るものに与える。」(村上春樹「ノルウェイの森」)
「まことに、われわれが生きることを愛するのは、生きることに慣れているからではない。愛することになれているからだ。愛というもののなかには、常にいくぶんの狂気があるが、狂気のなかには常にまたいくぶんの理性があるものだ。」(対照法+交差配語法、ニーチェ「ツァラツァストラはこう語った」)

1.3.列挙表現
○列挙法(enumeration)
 同種のものをならべるのが列叙法、異種のものを段階をおってならべるのが漸層法である。
◇列叙法(accumulation)
「寝転がっては見たもののちっとも眠くならないうえ、おまけにむらむらと怒りがこみ上げてくる。というのも、自分は、ぶらぶらするばかりでなく、寝床でぐずぐずするのも好む性分なので、枕元周辺にはいつも、生活用具一般、すなわち、ラジカセ、スタンドライト、湯呑、箸、茶碗、灰皿、猿股、食い終わったカップラーメンのカップ、新聞、シガレット、エロ本、一升瓶、レインコートなどが散乱しており、それらに混じって、いったい、なぜ枕元周辺にそれがあるかよく分からないもの、すなわち、ねじ回し、彩色してないこけし、島根県全図、うんすんかるた、電池なども散乱しているのであるが、そのよく分からないものの中に、五寸ばかりの金属製の大黒様があって、先前からむかついているのは、この大黒様、いや、こんなやつに、様、などつける必要はない、大黒で十分である、大黒のせいなのである。」(町田康「くっすん大黒」)
◇漸層法(climax)
「山頂には静けさがある/もう梢のざわめきは聴こえない/森の小鳥達もおし黙ってしまった/待つのだ、しばし、もうすぐ/お前にも休息の時がおとずれるのだから」(ゲーテ「さすらい人の夜の歌」)
○連結辞多用(polysyndecton)
「私の青春時代は試行錯誤の連続だった、あるいは見果てぬ夢を見、あるいは地の果てへの冒険を試み、あるいは報われぬ恋に情熱をかけ、あるいは遮二無二読書に邁進した。」


1.4.入れ替え
○倒置法(inversion)
「波騒は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」(吉川英治「宮本武蔵」)
○追加法(hyperbaton)
「兼好は誰にも似てゐない。よく引き合いに出される長明などには一番似てゐない。彼は、モンテエニュがやった事をやったのである。モンテエニュが生まれる二百年も前に。モンテエニュより遥かに鋭敏に簡明に正確に。」(小林秀雄「徒然草」)
○代換法(hypallage)
「蛇のなかにとぐろを巻いている力を私にください。」(フランソワ・デジレ「アリ・オム・ラマクリシナ」)
○倒装法(hypallage)
「猿は秀吉に似ている」、「鐘消えて花の香は撞く夕べかな」(芭蕉)

1.5.多重表現
○同時的音喩(駄洒落・地口)
「「ネズミつかめえたよ、おおきいだろ」「ちいせえよ」「おおきいよ、ほら」「いやちいせえよ」とかやってますと、ネズミがまんなかで「チュウ」なんてね。」(古今亭志ん生)、「南天」、「疲労宴」、「嫌煙の仲」
○同語異義復言法(antanaclasis)
「わたしの愛する人は人の妻だ。」、「心は理性(レゾン)が知らない自分なりの理由(レゾン)をもっている。」(パスカル)
○兼用法(syllepsis)
「太陽と恋とに身を焼かれて彼は南の国をさまよった。」
○くびき語法(zeugma)
「こんなに世界がぐんと広くて、闇はこんなにも暗くて、その果てしないおもしろさと淋しさに私は最近はじめてこの手でこの目で触れたののだ。」(吉本ばなな「キッチン」)

2.意味の拡張(認知意味論的レトリック)
2.の各項目はすべて、転義法(trope)・比喩にあたる。言葉の意味を通常の用法から拡張してつかう修辞法である。
○隠喩(metaphor)
「月見うどん」、「白雪姫」、「甘い生活」、「堅物」、「熱い議論」、「腹を割って話す」、「壁につきあたる」、「社会の歯車」、「わたしはかつて心に次のような問いをおこしたとき、ほとんど自分自身の問いによって窒息しそうになったのである。「なに?生はこの賎民をも必要とするのか」毒でけがされた泉が必要物なのか。悪臭を放つ火が。きたならしい夢が。生のパンのなかのうじ虫が。」(ニーチェ「ツァラツァストラはこう語った」)
○直喩(simile)
「法王ボニファキオ八世は、狐のようにその地位につき、獅子のようにその職務をおこない、犬のように死んだという。」(モンテーニュ「エッセー」)、「ふと入り口のはうを見ると、若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前のやうな感じで立って私を見ていた。」(太宰治「メリイクリスマス」)、「(覆された宝石)のような朝/何人か戸口にて誰かとささやく/それは神の誕生の日」(西脇順三郎「ギリシャ的叙情詩・天気」)


○換喩(metonymy)
「キツネうどん」、「赤シャツ」、「のれんをつぐ」、「ホワイトハウスの決定」、「東京は追加経済策を発表した」、「春雨やものがたり行く簑と笠」(蕪村)、「道は凍つてゐた。村は寒気の底へ寝静まつてゐた。」(川端康成「雪国」)
○転喩(metalepsis)
「お手洗い」、「暑いですね」、「約束をわすれるな」、「夜明けのコーヒーを一緒にのもうよ」、「わたしは十分すぎるほどいきた」
○提喩(synecdoche)
「親子ドンブリ」、「飲む・打つ・買う」、「空から白いものがふってくる」、「ウォークマン」、「人はパンのみにて生きるにあらず」
○換称(antonomasia)
一般名のかわりに固有名をつかう。「小町」、「味の素」、「ドン・ファン」
固有名のかわりに一般名をつかう。「ブッダ」、「キリスト」、「黄門」
○擬人法(prosopopoeia)
「時間め、おれの恐ろしい功に先手をうったな。」(シェイクスピア「マクベス」)、「暗闇よ、わたしの古い友達よ。わたしは、またお前と語りにきた。」(サイモン「サウンドオブサイレンス」)、「航海にでよう銀色の少女よ」(サイモン「明日にかける橋」)「やれ打つな蝿が手をする脚をする」(小林一茶)
○呼びかけ法(apostrophe)
「あゝをとをとよ、君を泣く、/君死にたまふことなかれ、/末に生まれし君なれば、/親の情けはまさりしも、/親は刃をにぎらせて、人を殺せとをしへしや、/人を殺してしねやと、/二十四まであそだてしや。」(与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」)
○擬物法
「生き字引」、「捨てゴマ」、「動く広告塔」、「粗大ゴミ」、「気の短い福建野郎が爆発してしまったのだ」(馳星周「不夜城」)
○象徴(symbol)
「コウノトリ」、「ミネルヴァの森のフクロウは夜とぶ」(ヘーゲル)、「風のなかの蝋燭、英国の薔薇」(エルトンジョン)、「鎌とハンマーは十字架を粉砕せんとした」
○諷諭(allegory)
「井の中の蛙大海を知らず」、「桃李言はざれど、下自ずから蹊を成す」、「干天の慈雨」、「火宅」、「酸っぱいブドウ」

3.伝達のひねり(語用論的レトリック)
3.1.言わずにつたえる
○暗示的看過法(preterition)
 「お土産なんかいいから、しっかり楽しんできてね」、「宮元君が殺人犯として服役していたということはふれずに、直接本題にはいります。」
○黙説法(aposiopesis)
「葉蔵は、はるかに海を見おろした。すぐ足下から、三十丈もの断崖になってゐて、江の島が真下に小さく見えた。ふかい朝霧の奥底に、海水がゆらゆらうごいてゐた。そして、否、それだけのことである。」(太宰治「道化の華」)


○含意法(implication)
「月夜の晩ばかりじゃねえぞ」、「先生の今度の本、印刷がきれいですねえ」、「二十五才以下の方は、お使いになってはいけません。」(マダム・ジュジュの広告)、

3.2.弱く遠回しに言ってつたえる
○緩叙法(litotes)
「「笑いごとじゃあないぞ」とウィングが言った。「笑う気はないさ」、シェーンはライターの火をつけた、「もっとも、だからと言って泣きたいとも思わんがね。」」(ハリデイ「大急ぎの殺人」)、「ちょっと期待はずれでした」、「わたしは彼を評価しないわけではない」
○語調緩和法(attenuation)
「わたしくには、彼の主張には、すこしばかり無理があるようにおもわれました。」
○婉曲語法(euphemism)
「帰らぬ人となる」、「幽冥境を異にする」、「用足し」、「洗面所」、「有りのみ」、「得て候」、「お開きにする」、「援助交際」、「夢の島」
○抑言法(meiosis)
「いい仕事ができた」、「覚え書き」、「ペーパー」
○迂言法(periphrasis)
「(おれはやくざだとすごまれて)「ああ、身体に日本画を描いていらっしゃるアーチストでおいでですか。」、「米の粒はあんましくわねえが、米の水はたんとめしあがってまさあ」
○代称(kenning)
「ミネルヴァの鳥」(フクロウ)、「夜の蝋燭」(星)、「旅するランプ」(太陽)

3.3.余計に強く言ってつたえる
○冗語法(pleonasm)
「馬から落ちて落馬する」、「冷たい氷で頭を冷やす」、「青い青空をむさぼり求める熱っぽい唇」(マラルメ「窓」)、「いま地球の環境保護とかエコロジーとか、シンプルライフということがしきりに言われだしているが、そんなことはわれわれの文化の伝統から言えば、当たり前の、あまりにも当然すぎて言うまでもない自明の理であった。」(中野孝次「清貧の思想」)
○反復法(repetition)
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイによる福音書)、「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」(三好達治「雪」)、「お詫び。このたびの不祥事により、世間をおさわがせし、数多くのきびしいお叱りを頂戴いたしました。ご愛顧をいただいてまいりましたお客様方には、大変なご迷惑をおかけいたしました。心からお詫びを申しあげますとと共に、深く深く反省し、改めて、ここに新生を誓うものでございます。何卒、皆様方の旧に勝るご指導、ご鞭撻を賜ります様、伏してお願い申しあげる次第でございます。ここに深くお詫びもうしあげます。」(高島屋の謝罪広告)
○誇張法(hyperbole)
「万力」、「千枚通し」、「万年筆」、「一日千秋」、「兎小屋」、「猫の額」、「死にそうに疲れている」、「支配人は総金歯をにゅっとむいて笑ったので、あたりが黄金色に目映く輝いた。」(井上ひさし「モンキンポット師の後始末」)、「こりゃ何という手だ。や、目の玉が抉られる。/大ネプチューンの大洋の水を皆使ったらこの血をば/きれいに洗い落とせるだろうか。いや、いや。おれのこの手は/却っておびただしい海の水を朱に染めて、/青をば赤一色にするだろう。」(シェイクスピア「マクベス」)


3.4.逆から言ってつたえる
○皮肉法(irony)
「やっと気づきました。天賦の才だけではだめだということを。」→「ふふん。天賦の才ね。」、
「私が結婚したらすくなくとも10人の男が不幸になるわね。」→「あなたどうやって、すくなくとも10人の男と結婚するの。」
○反語法(antiphrasis)
「悪友」、「その物につきて、その物を費やしそこなふ物、数を知らずあり。身の虱あり、家に鼠あり、国に賊あり、小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。」(吉田兼好「徒然草」)、
○修辞的否定
「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」(藤原定家)
○修辞的疑問(rhetorical question )
「あなたはわたしが何も知らないとでも思っているの」、「このままでいいのだろうか」

3.5.常識にさからって言ってつたえる
○同語反復法(tautology)
「子どもは子どもだ」、「約束は約束だ」、「露の世は露の世ながらさりながら」(一茶)、「ロミオよロミオよ、おまえはどうしてロミオなの」(シェークスピア「ロミオとジュリエット」)
○撞着語法(oxymoron)
「公然の秘密」、「有難迷惑」、「慇懃無礼」、「ただより高いものはない」、「無知の知」、「黒い光」、「氷の炎」、「僕は今最も不幸な幸福のなかに暮らしている。しかし不思議にも後悔していない。」(芥川龍之介「或阿呆の一生」)
○逆説法(paradox)
「急がばまわれ」、「負けるが勝ち」、「損して得とれ」、「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイによる福音書)「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」(「歎異抄」)

3.6.模索しつつ言ってつたえる
○同格法(apposition)
「壁--独り居の夜半の伴侶/壁の表に僕は過ぎ去ったさまざまの夢を託す」(三好豊一郎「壁」)
○類義語累積法(synonymy)
「彼女はきれいで、かわいくて、愛らしくて、魅力的で、すてきで、とてもいいんだ。」
○訂正法(epanorthosis)
「人様の芸を盗むのも修行のうちだよ。・・・・・・・盗む、というから聞こえが悪いのだよ。そうよな、模写とでもいった方がいいんじゃないかね。」(井上ひさし「喜劇役者たち」)
○疑惑法(aporia,addubitation)
「生きるか死ぬか、それが問題だ」(シェークスピア「ハムレット」)
○設疑法(interrogation)
「おお季節よ、城よ、/どんな魂が無傷だというのか。」(ランボー)


○問答法(dialogismus)
「諸君は大衆に愛されつづけたいと思うのか。/それなら絶えず書きつづけ、諸君の談話に変化をあたえよ・・・/自分の詩句について大衆の検閲が怖いのか。/それなら自分自身に対して厳しい批評家であれ。」(ボワロ「詩法」)

4.間テキスト的修辞法
○引喩(allusion)
「発句は芭蕉か髪結い床の親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣瓶をとられて堪るものか。」(夏目漱石「坊ちゃん」)
○パロティ-(parody)
「赤信号みんなでわたれば怖くない」



課題1. レトリックがおもしろいとおもう文を数種類さがして、そこにどんなレトリックがつかわれていて、どんな効果をあげているか指摘してください。
課題2. 大好きな人を、レトリックを駆使してほめたたえてください。つぎに、大嫌いな人を、レトリックを駆使してののしってください。(人でなく、国や会社、団体、食べ物、など大好きだったり、大嫌いだったりするものなら、なんでもかまいません。)





参考文献
「レトリック辞典」 野内良三  国書刊行会(1998)
「レトリック感覚」 佐藤信夫 講談社(1978)
「レトリック認識」 佐藤信夫 講談社(1981)
「メタファー思考」 瀬戸賢一 講談社新書(1995)
「レトリックと人生」 レイコフ・ジョンソン 大修館(1980)
「ジョークとレトリックの語用論」 小泉保 大修館(1997)
「背理のコミュニケーション」 橋本良明 勁草書房(1989)
「落後のレトリック」 野村雅昭 平凡社(1996)
「かがやく日本語の悪態」 川崎洋 草思社(1997)
「罵詈雑言辞典」 奥山益朗編 東京


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修辞技法(しゅうじぎほう、または文彩(ぶんさい)、あや、英語・フランス語:Figure)とは、スピーチおよび文章に豊かな表現を与えるための技法。ギリシア・ローマ時代から学問的な対象となっており、修辞学(レトリック、Rhetoric)という学問領域となっている。これらの多くは文学的感動もあたえる反面、論理より感情に訴えかけるため論争においては議論をこじれさせたり、人身攻撃などにも使われる場合がある。
目次 [非表示]
1 分類
2 比喩
2.1 直喩法
2.2 隠喩法 
2.2.1 換喩法
2.2.2 提喩法
2.3 比喩表現の複合
3 擬態法
3.1 擬態語・擬音語・擬声語
4 擬人法
4.1 擬物表現
5 倒置法
6 反復法
7 同語反復
8 首尾同語(反照法)
9 体言止め
10 反語
11 呼びかけ
12 パラレリズム
12.1 対句
13 押韻
14 語句の挿入
15 省略法
16 緩叙法
17 漸層法
18 対照法
19 敷衍(ふえん)
20 パロディ
21 畳語法・畳句法・畳音法
22 疑惑法
23 誇張法
24 列挙法・列叙法
25 折句
26 史的現在
27 撞着語法
28 頓降法/漸降法
28.1 頓降法
28.2 漸降法
29 黙説
30 冗語法
31 転用語法
32 関連項目
33 参照文献
33.1 古典
33.2 現代(海外)
33.3 現代(日本)
34 脚注
35 外部リンク
分類 [編集]

西洋の古典修辞学者たちは修辞技法を大きく次の2つに分類した。
Scheme - 言葉のパターン(配列)を通常のパターン、あるいは予想されるパターンからそらせる修辞技法。
比喩(Trope。転義法とも) - 語の一般的な意味を変えたり修飾したりする修辞技法。
しかしルネサンス期になると、修辞学者たちは全修辞技法の分類に情熱を傾け、作家たちは修辞技法の種類・下位分類の種類を広く拡張した。ヘンリー・ピーチャム(Henry Peacham)の『The Garden of Eloquence』(1577年)には184の修辞技法が列挙されている。その中で、ピーチャムは分類について以下のように書いている。「単純にするために、この本では文彩をschemeと比喩(trope)に分け、(『Figures of Disorder』がやったような)さらなる下位分類は行わない。各ジャンル、技法はアルファベット順に列挙する。それぞれの項目では詳しい説明と例を挙げるが、列挙する時の短い定義は便宜的なものである。列挙したもののいくつかは、多くの点で類似した文彩と思われるだろう」。
尚、日本における修辞の名称は、各国修辞学における文献に於いて英、独、仏語やラテン語を各学者などが和訳したものであり、名称の表記に揺れがあることを留意すべきである。また、以下に述べる用例文は、一般書籍からの引用ではなく、技法を文献から咀嚼した上であくまで例として記述したものである(一般書籍から引用すると、註釈で多くの頁を割くことになることと、文体、歴史的仮名遣いなどの問題が発生するため)。
比喩 [編集]

詳細は「転義法」を参照
比喩(譬喩、ひゆ)とは、字・語句・文・文章・出来事・作品全体などの物事を、それと共通項のある別の物事に置き換えて表現する手法である。読み手に対し、例えられる物事を生き生きと実感させる効果を持つ。比喩を用いた修辞法を比喩法といい、佐藤信夫他著の『レトリック事典』では直喩、隠喩、換喩、提喩を指している。
直喩法 [編集]
詳細は「直喩」を参照
直喩(明喩、シミリー)とは「(まるで・あたかも)~のようだ(ごとし、みたいだ)」のように、比喩であることを読者に対し明示している比喩である。直喩を用いた修辞法を直喩法という。『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…』で知られる『平家物語』の序段は、この直喩の典型例である。
用例
赤ん坊の肌はまるで綿飴のようにふわふわだ。
鳥みたいに羽が生えたら自由に空を飛べるのに。
息子は二宮金次郎のごとく、勉学に励んだ。
あいつのいない夏休みなんて真夏のスキー場みたいなものだ。
隠喩法  [編集]
詳細は「メタファー」を参照
隠喩(暗喩、メタファー)に分けられるものは、比喩であることが明示されていない比喩である。隠喩を用いた修辞法を隠喩法という。すし詰め状態、団子レース、マシンガントークなどのように定型句となった表現も見られる。
用例
夜の帷が静かに幕を下ろす。
満点の星空が二人の間に降り注ぐ。
この思い出を忘れまいと、心の宝石箱に仕舞い込んだ。
などで、いずれも「まるで」「ごとし」「ようだ」などの推量が用いられていない。
換喩法 [編集]
詳細は「換喩」を参照
換喩(かんゆ、メトニミー)とは表現する事柄をそれと関係の深い付属物などで代用して表現する比喩である。また永田町と言って国会を、葵の御紋と言って徳川家を指すのも換喩の一種とされ、『象徴喩』と訳されている。換喩を用いた修辞法を換喩法という。
用例
「バッハが大好きだ。」
「バッハ」がバッハの作品を指している。
そのワインを開けてくれ。
実際開けるのはワインではなく、ワインを入れた容器の栓である。
象徴喩の用例。
ボルドーの赤、ブルゴーニュの白。
ここでの赤と白は言うまでもなく、ワインの種類である。
ペンは剣より強し。
ここでのペンは弁舌や学問を指し、剣は武力や戦争を指している。
提喩法 [編集]
詳細は「提喩」を参照
提喩(ていゆ、シネクドキ《Synekdoce》とは上位概念で下位概念を表したり、逆に下位概念で上位概念に置き換えたりする比喩をいう。換喩との違いは、包含する関係にあるか否かである。提喩を用いた修辞法を提喩法という。
用例
全く、情けない男だ。
ある人物が相手にこう告げた時、情けないのはその相手(下位概念)だけであって、男全般(上位概念)を指しているわけではない。
豚肉も悪くないけど、どちらかといえば鳥の方が好きだな。
まず鳥という上位概念で鶏という下位概念を指している。さらに、鶏という上位概念からさらに下位概念の鶏肉、あるいは鶏肉料理を指している。このように提喩は上位、下位の概念が階層化することもある。
紙もすっかり値上がりしたので、本当に困る。
会話の状況によって、この紙がトイレットペーパーを指してるのか、それとも何らかの用箋を指しているのかわからないが、紙という上位概念で、下位概念を想起させるものとなっている。
比喩表現の複合 [編集]
これらの比喩が複合することもある。たとえば「右のエース」という表現は、エースで一番手を指す暗喩、右で右手で投げる投手を表す換喩を兼ねている。更に、「右のエース」という言葉は、野球のみでしか通用しないので、野球という上位概念の中の下位概念に値することから、この表現そのものが提喩となっている。
擬態法 [編集]

擬態法(ぎたいほう)は、表現する事象について、様子を文字として書き表した擬態語や、擬音語・擬声語を用いた修辞法である。「姉はにこにこと笑っていた」という文での「にこにこ」が擬態語に、「犬がワンワンと鳴く」の「ワンワン」が擬声語にあたる。
擬態語・擬音語・擬声語 [編集]
詳細は「声喩」を参照
擬態語(ぎたいご)は「様子」、擬音語(ぎおんご)は「音」、そして、擬声語(ぎせいご)は「動物の鳴き声」などを言語化したものである。写生語、声喩、仏語でオノマトペ (onomatopee)、若しくは英語でオノマトペア (onomatopoeia) ともいう。擬音語(擬声語)を用いることにより、ものごとを生き生きと表現する効果や、また、ものごとに対し読者が親近感を抱く効果など、さまざまな効果が生まれる。扉が風でガタガタと音を立てるといった擬音語、幼児語では、犬の鳴き声の擬声語であるワンワンのように、そのものの発する声を表す擬声語がそのものの名称として用いられる場合もある。擬態語は「動作・様態・感覚・心理・状況」などの様子を文字として表す方法で、傷口がズキズキ痛む、心配でハラハラするなどが例として挙げられる。また、そもそも言語ではないものを言語化しているため、言語によってこれらの語は異なることがある。
尚、日本の国語科教育では文法として擬音はカタカナを、擬態は平仮名を使うように教えている。
擬人法 [編集]

詳細は「擬人法」を参照
比喩の中でも特に、人でないものを人格化し、人に例える手法を擬人法(ぎじんほう、活喩)という。その場合、読み手に対し、例えられる「人でないもの」に対する親近感を抱かせる効果が生まれる。擬人化、擬人観も参照のこと。対照的な概念に動物形象がある。
「海に出て木枯帰るところなし」(山口誓子)
木はわたしに向かって手を振った。
風が私を優しく撫でた。
擬物表現 [編集]
擬人法と逆に、人の動作や様子を物質に喩える手法があり、これを『擬物表現』、『結晶法』、『実体化』(原義はHypostatization《英》)などと訳している。以下は例文である。
黙々と働く彼の姿は、言うならロボットである。 
彼女の笑顔が、僕にとって元気の薬だ。
彼が持つ強運を、少しは分けて欲しいぐらいだ。
倒置法 [編集]

詳細は「倒置」を参照
文章は通常、主語-目的語-述語 の順で記述されるが、この順序を倒置(逆転)させ、目的語を強調する手法のこと。
私は宝の在処を突き止めた。(通常)
私は突き止めた、宝の在処を。(倒置法)
宝の在処を突き止めた、私は。(主語も倒置した形)
反復法 [編集]

詳細は「反復法 (修辞技法)」を参照
同じ語を何度も繰り返し、強調する。連続して反復する場合と、間隔を置いて反復する場合がある。
「高く高く、青く澄んだ空」
「我が母よ 死にたまひゆく 我が母よ 我を生まし 乳足らひし母よ」(斎藤茂吉)
同語反復 [編集]

詳細は「トートロジー」を参照
同じ言葉を二度用いることで、語気を強める用法。トートロジー(Tautology)の訳語の1つ。
例文
それはそれ、これはこれだ。
まあ約束は約束だ。したからには守らないとな。
首尾同語(反照法) [編集]

詳細は「隔語句反復」を参照
別の場面で全く同じ表現を用いる手法。たとえば冒頭に、「平和な朝だ」と記し、巻末に「平和な朝が帰ってきた」などと表現する。反復法の一つである。
他の用例として童話『モチモチの木』なども首尾同語の好例である。一人で便所に行けない臆病な主人公がクライマックスで疾風怒濤の勇気を振り絞っているのに、巻末ではやはり一人で便所には行けなかったと記され、話が締められている。
体言止め [編集]

体言(名詞・名詞句)で文章を終えること。名詞止めとも称する。言い切らずに、文の語尾に付ける終止形を省き、体言で止めて、強調させたり、余韻を残すことをいう。もともとは俳句や短歌の技法だったが、1990年代に若年層で流行した。それ以前から星新一をはじめとする小説家が著作で盛んに用いており(例:「私は科学者。実はこの…」)、このことも影響しているであろう。
特に感動を表現するために、例えば「水が流れる」という文の主語・述語の順番を逆にして「流れる水よ」のように体言で止める言い方を、喚体句という。
反語 [編集]

詳細は「反語」を参照
実際の主張を疑問の形で書いているが、強い断定を表す用法。また、肯定の形で表しているが、強い皮肉を表すこともある。種類として皮肉法、反語的讃辞、反語的期待、反語的緩和、反語的否認などがある。
反語の用例
昔は美しい街だったと言っても、だれが信じるだろうか。(いや、誰も信じないだろう)
あの社長の経営方針のせいで、どれだけの労働力が犠牲になったことか。(多くが犠牲になったのだ)。
否定表現となることが多いが、肯定表現が来ることもある。

反語的讃辞の用例
おやおや、ずいぶん丁寧な扱いだこと。(とてもひどい扱いだ)
君の達筆な字じゃ上司に見せるのはちょっとね…。
資金力で大物選手を寄せ集めてるわけだし、そんなスター軍団が負けるはずないよね。
見せかけは肯定文であるが、中身はまるっきり皮肉を交えた反語となっている。広義では皮肉法ともいえるが、違いは長所を述べておきながらその長所を内面で否定している点である。
反語的期待の用例
君が会社を辞めるかは自分で決めることだ。君の実績は上も高く評価している。それに、君の接客を楽しみにしてる客もいっぱいいるしな。
表向きは肯定しているが、実際は「会社を辞めるな」と強く相手に訴えているのが分かる。
反語的緩和の用例
待った、だなんて思ってないよ。この前だいぶ待たせた借りがあるしね。
皮肉も自嘲も含まれていないが、能動と受動の関係が逆転しており、ここでは待たされた相手が敢えて、自分から待つことにしたと反転して表現することで、体裁の悪い相手の立場を和やかに変えている。無論、相手にとっても待たせることに対して貸しを作った覚えなどないはずであるが、結局は「お互い様だよ」と訴えているようになっている。
反語的否認の用例
以後の彼の活躍は、敢えてここで書く必要もないだろう。
反語的期待の逆。表現上では否定だが、文章上では正しいことを述べる肯定となっている。
呼びかけ [編集]

詳細は「頓呼法」を参照
対象物との密接な関係を表す手法。「~よ」などの形になることも多い。
パラレリズム [編集]

詳細は「パラレリズム」を参照
全体に一定のパターンを与える目的で、2つ以上の文の部分に類似の形式を与えること。対句法、平行構造、平行体, 並行体とも言われる。 ヘブライ語の聖書、漢詩をはじめ、広範に使われる。
対句 [編集]
漢詩やことわざで使われる場合は「対句」という言葉があてられる。2つ以上の語呂の合う句を対照的に用いる。 もともとは漢文の駢儷文におけるテクニックの一つで、日本語では漢字、漢文の伝来とともに使われるようになり、現在においても、日本語の表現方法として無意識に使用されている。 例として、
しかあれども、よにつたはることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり、あらがねのつちにしては、すさのをのみことよりぞおこりける。(古今和歌集)
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」(平家物語)
などがある。
四字熟語での例は枚挙に暇がない。二つの二字熟語を対にする例が多い。
温故知新
支離滅裂
南船北馬
千変万化
四分五裂
剣林弾雨
北虜南倭
中体西用
和魂洋才
扶清滅洋
衛正斥邪
南水北調
東邪西毒
金枝玉葉
押韻 [編集]

詳細は「押韻」を参照
詩歌などで同じ音を決まった場所に繰り返し使うこと(=韻を踏むこと)。語句の頭の音を揃えることを頭韻、語句の終わりや行末を揃えることを脚韻という。
やわらかに柳(やなぎ)あをめる北上(きたがみ)の
岸辺(きしべ)目に見ゆ
泣けとごとくに(石川啄木)
上記の例は頭韻である。
語句の挿入 [編集]

詳細は「挿入語句」を参照
括弧やリーダー、ダッシュなどを使って、語り手が説明を補足したり、弁明したりする表現。
説明補足の用例
少なくとも、彼の方が生徒会長に相応しいと思う(といっても、どっこいどっこいだが)。
括弧で説明を補足することで、要はどっちでも同じ、双方相応しくないと思っている第三者の心理が読み取れるようになる。
弁明の用例
彼は(時期尚早だとは思いつつ)、社長に新事業について提案してみた。
括弧を入れなくても文章の内容は通っている。これを括弧に含めることで、主語の人物の躊躇(僭越じゃないかという懸念があったという弁明)がよりはっきり透かし彫りされるようになる。  
省略法 [編集]

詳細は「省略」を参照
文章や会話の一部を省略すること。西洋修辞学では、省略された要素は文脈などから推断かつ復旧することができる。内容を短縮する目的で使われることが多い。くびき語法もその一種である。
文学の技法として、余韻を残し、読者に続きを連想させる意図的な省略(Purposeful omission)もある。専ら、省略した部分にはダッシュやリーダーが使われる。
用例
彼の暮らしぶりはとても贅沢だ。高級外車、腕時計、宝飾品、そして瀟洒な邸宅…。
相手の贅沢な暮らしぶりの一例を列挙しているが、敢えて全部挙げる必要が無いため、めぼしいものだけを採り上げており、同時にその相手に対して、強い感嘆を訴えている。
あいつほどいい奴はいなかった。…なのに、なんであんな喧嘩をしたのだろう。
文脈の上では、リーダを省略しても意味は通じている。しかし、敢えてリーダを入れることで、その間に主語の人物が抱いている悔恨、困惑の念を読者に訴えかける仕組みになっている。
戦争ですっかり燃え尽きた街―。―あれから数十年、あの頃を知っている者は少なくなった―。
ダッシュが頻繁に用いられる例。ダッシュで被災都市の経歴、さらにそこから抱いた作者の感情全てを省略しており、より強い感情を読者に訴えるようになっている。
また、漫画や小説などでは「…」など相手の会話や吹き出しにリーダーだけが用いられることがある。これは言葉では表現しにくい感情を抽象的に表現したものである。
くびき(軛)語法の用例
皆が優勝を讃えた。監督もコーチも観衆も、そして敗れたライバルさえも。
くびきとは馬車に取り付ける金具であるが、原義であるZeugmaを直訳したものである。要は繰り返しとなる述語を一つに括ったもので、倒置表現となることが多い。ここを一つに括らなかった場合、
監督も優勝を讃えた。コーチも優勝を讃えた。観衆も優勝を讃えた。そして敗れたライバルさえも優勝を讃えた。
と、かなりしつこい文章になるが、このような技法もある(→後述:畳句法)
緩叙法 [編集]

詳細は「緩叙法」を参照
言いたいことを遠まわしに言って、別の意味を強める表現。例文を次に挙げる。
僕は野球が嫌いだとは言わない。
主語の人物は野球が嫌いではないが、いい印象を持っていない。そこには、何か本人にとって納得できない部分があり、相手に強く訴えているのは、その納得できない部分である。
まあ、今日のところはこのくらいにしといたる。
漫才の定番落ちであるが、これは緩叙法の一つである。本人にとっては、相手のお手並みを拝見するどころか、返り討ちに遭っているわけであるが、敢えてこう答えることで、不利な戦いから逃亡を図りつつも、自分の体面を意地でも守ろうとしているのである。
漸層法 [編集]

詳細は「漸層法」を参照
同じ事柄に対して、徐々に表現を強めていく手法。また、スケールを徐々に縮めていく表現を反漸層法と呼ぶことがある。
漸層法の用例
非常に強い揺れだった。部屋はすっかり散らかってしまった。扉が開かないので、窓をこじ開けて外に出てみたら思わず息を呑んだ。周りの家という家が軒並み、押しつぶされているのだ。心を落ち着かせ、よく見ると、遠方に濛々と煙が立ち込めているではないか。
この一連の文章は、あくまで、自身が体験した大地震についての語りである。初めは自分の家のことだけと思っていたところが、だんだんと被害の実態と規模の大きさを目の当たりにしていく様を相手に訴える仕組みになっている。
反漸層法の用例
世界のトップアスリートが集うオリンピック。その選手になるため鎬を削る全国の猛者たち。そして、ここに無謀にも大舞台を夢見るちっぽけな男がいた。
徐々に世界、日本、そして一地方と次第にスケールが縮んでいるのが分かる。この文章では別に男にケチを付けるつもりはなく、逆にサクセスストーリーとして読者の期待感を煽る表現となっている。これに落ちを付けた場合は漸降法(後述)と区別されることがある。しかしながら、反漸層法と漸降法の原義は同じ、Anticlimax(英)である。
対照法 [編集]

詳細は「アンチテーゼ」を参照
同じ立場、条件において全く逆の表現を使う手法。以下は例文である。
あいつは女には甘いくせ、俺たちにはきつい。
君、この調子では、すぐにあの新入りに追い越されてしまうねえ。
この例文では文章が省略されているが、明らかに有能な新人と対比しているのが自明であり、反語にはこのような表現もある。

敷衍(ふえん) [編集]

詳細は「増幅法」を参照
短く話せば済む会話を敢えて長く形容し、意味を強調する手法。以下は例文。
この山は、かつて多くの登山家たちを拒んできたほど険しい。
言いたいことは「この山は危険」ということだけであるが、どれほど危険なのかということを強調するため、「多くの登山家たちを拒んできた」という表現が加えられている。
パロディ [編集]

詳細は「パロディ」を参照
知名度の高い記事や事件などを借用して、文章を面白おかしくしたり、物事を揶揄、風刺したりする表現。以下は例文である(ネット掲示板の会話より抜粋)
甲「サイダーに合う食べ物って何かある?」
乙「天ぷらそば」
丙「通だな」
丁「ここには、宮沢賢治がおる」
ここで注意しなければいけないのは、宮沢賢治という人物を把握していないと、何がおかしいのか分からない点である。宮沢賢治は、行きつけの蕎麦屋で天ぷらそばと一緒にサイダーを頼む習慣があったと云われており、そのため「天ぷらそばとサイダー」の取り合わせが宮沢賢治を連想させるものとなっている。しかし、それは一般的な習慣とはいえないものなので、乙に対し、丙と丁は文章上のおかしさを感じているのである。よってパロディを用いる場合は、ある程度知名度が浸透したものを選ぶのが好ましい。
畳語法・畳句法・畳音法 [編集]

詳細は「畳語法」を参照
言葉を重ねることで、意味を強調する手法。
一時間経った、まだ来ない。それから30分、まだ来ない。いつまで経っても、彼はまだ来ない。
畳句。「まだ来ない」という句を並べ、さんざん待ちわびていることを強調。
これこれ、これが欲しかったんだよ。
畳語。これという語を並べ、これにあたる品が欲しかったことを強調。
ガラガラガラガラガラ…、無数の小石や礫が断崖絶壁から滑り落ちていく―。 
畳音。擬音を並べることで、その度合いを強調。
疑惑法 [編集]

詳細は「アポリア」を参照
曖昧とした論述を意図的に用いる手法。きっぱりとした回答を嫌うときのほか、結論を持たずとも、特定の対象を強く印象付けたい時にも用いられる。ためらいの文法に含まれるとされ、佐藤信夫他『レトリック事典』では主として5つの用例がある[1]。
不的確な客観表現による疑惑法の用例
大人と呼ぶにはまだあどけない、でも子供と呼ぶには逞しい、少年はそんな風格が漂っていた。
同様の事柄を二つ並べることによって、作者が本当に形容したい間の表現を確立させようとしている。したがって、この二つのいずれが欠けても、文章が成立しない。
不的確な主観表現による疑惑法の用例
試験の結果は早く知りたいし、知りたくもない。
これは主語の人物の心のジレンマであり、おそらく「知りたくない」ということは自信がないと窺える。しかし、実際どのくらい得点したのかを知りたいのも事実である。
複数評価による疑惑法の用例
スポーツで大事なのは攻撃か防御か、攻撃が大事とも言えるし、防御が大事とも言える。
疑惑法には比較表現の優劣を付けたくない場合に用いることが多い。おそらく、相手は白黒付けた結論を望んでいるはずだが、主語の人物は答えをはぐらかしているだけである。それが結果的に人それぞれの様々な評価に委ねられるものであると結論づけている。
自己否定を伴った疑惑法の用例
子供の頃住んでた田舎が懐かしく、ふと思い出す。すごい田舎で、交通も不便で、近くに店は一つもなく、実家のボロ家は雨漏りなんかもしょっちゅうだったが…。
後半だけだと子供の頃暮らしていた田舎に対する愚痴だけしか捉えられないが、それを敢えて大人になった今、思い出として蘇らせていることで、負の側面を相殺して余るほどの強い感情を読者に訴えかけている。だが、具体的に子供の頃の田舎の何が良かったのか、作者の中でも感情が漠然としているため、反語のように自己否定が込められた文面になっており、また捉えようによっては本当に田舎の生活が良かったのか自問自答する内容とも受け取れる。
自意識の強い疑惑法の用例
そいつは、すっとぼけた奴だけど、いつも近くにいて、俺の傍で笑ってくれるんだ。
前述した、特定の対象を強く印象づける方法。これは主語の人物が相手に対し、好意を持った人物を暗に仄めかしているが、本人は自意識過剰気味に相手に対して特定の対象を強く訴えているのが読み取れる。
誇張法 [編集]

詳細は「誇張法」を参照
言いたいことを強調して大げさに言う手法。
天地がひっくり返ってもそれはありえない。
死んでもこの土地は手放さない。
耳の穴かっぽじってよく聞け
など。
列挙法・列叙法 [編集]

詳細は「列挙法」、「列叙法」をそれぞれ参照
ある特定の対象に対して、関連性のある単語、あるいは文章を立て続けに並べて強調する手法。
列挙法の用例
地球温暖化、オゾン層破壊、森林伐採に酸性雨、地球を取り巻く環境問題は数え上げればきりがない。
列叙法の用例
このホテルが営業していた頃はこの辺も賑わっていた。しかし、かつての繁栄は見る影もない。辺りに人気は全く無く、薄暗い。建物のコンクリートはすっかり朽ち果てている。外壁には無数の蔓が巻き付いている。誰かが侵入したのか、無残に窓ガラスも叩き割られている。
折句 [編集]

詳細は「折句」を参照
史的現在 [編集]

詳細は「史的現在」を参照
「歴史的現在」とも。過去の出来事を、あたかもたった今行われているかのように書き表す手法。
撞着語法 [編集]

詳細は「撞着語法」を参照
撞着法ともいう。お互い背反する二つの真理をつなげる用法。一つの語句となっている例も多い。
用例
慇懃無礼(慇懃とは懇ろで礼節を弁えていること。無礼とは礼儀知らずのこと。慇懃無礼で表向きは敬意を払っているようで、心の裡では相手を見下している様子をいう)
必要悪(本来悪は必要とされないが、社会、あるいは機構を動かしていく上で、犠牲にしなければならない、黙認せねばならない部分も存在するということ)
など。
頓降法/漸降法 [編集]

詳細は「漸降法」を参照
いろいろと肯定的な文面を列挙しておいて、最後に落ちとなる言葉を入れることで、全体を否定したり、滑稽な表現をしたりする方法。漸層法の一種と見なされる。頓降法の場合は、一旦盛り上げておいてから一気に落とす場合が多い。対して、段階的に落ちを利用する手法は「漸降法」と呼んでいる学者もいるが、反漸層法(Anticlimax)<→前述:漸層法>の和訳である場合と頓降法(Bathos)である場合があり、かなり紛らわしくなっている。
頓降法 [編集]
滑稽表現の用例
広東料理はありとあらゆるものが食材になる。―足が生えて食材にならないのは人と机ぐらいなものだ。
人が記述されているのは便宜上だが、落ちとなっているのは食材になろうはずもない机が含まれている点である。
全体否定の用例
この大作映画は凄い。独特の世界観、大物俳優の起用、セットの豪華さ、話題性、どれを取っても文句はないだろう。ただ、ストーリーがひどく稚拙だが。
この評論家が訴えたいのは無論、最後の落ちの部分であり、結局瑣末的なものは評価しても、根本が駄目なので作品自体は全く評価されていないと分かるだろう。
漸降法 [編集]
慣例性のある任意の対象に対して階層化を行い、最後に落ちを持ってくる手法。コントや漫画で頻繁に用いられる三段落ちも漸降法である。
漸降法の用例
地震、雷、火事、親父。
古くから言われる俚諺であるが、1位、2位、3位の後、4位に大きく隔たられた対象を持ってくる手法で、滑稽表現を醸し出すことが多い。ここでは、実際父親が厳格な存在だったという象徴もあるが、自然の驚異とただの一個人を比較しているところに大きな落差が見られる。
A「宝くじで三億円が当たったら何を買いたい?」
 B「外車」
 C「宝石」
 D「宝くじ三百万枚」
このコントのように、落ち以外の対象は階層化が発生せず(願望として外車も宝石も同等と見て良いため)、平行線から急落する場合もあるが、これも漸降法に分類される。
黙説 [編集]

詳細は「頓絶法」、「陽否陰述」をそれぞれ参照
省略法と区別される。言葉を始めておきながら、激情、節度を抑制するため、あえて言葉を濁らせ、文を完結させない手法。省略された部分は暗黙の了解で、読者に分かっていたり、また想像を膨らませたりするものもある。また、一番大事な部分をわざと遅らせる場合や逆に文の途中を中断する用例、黙説した部分を地の文で補完する場合もあり、これを『待望法』『逆中断』『暗示黙過』などと訳している。
黙説の用例
自分を二軍に落としたあのコーチが許せない。…きっと今に…今に見返してやるから待っていろよ!
ここでは反骨精神漲るその強い感情が全て省略されている。しかし、読み手とすれば、その中に渦巻いている悔しい気持ちが暗に読み取れるはずである。
未決/待望法の用例
毎晩、終電近くまで仕事が押し迫る。なけなしの休みもいきなり呼び出される。職場の上司も自分は何もできないくせ、他人を叱ることだけは一丁前だ。なんで、こんな会社に自分がいる。できるものなら、今から全てを捨て、海外にでも出て行きたい。
一番、大事な言葉は「出て行きたい」、すなわち会社を辞めたいという部分である。しかし、それを冒頭に置かず、末尾に置くことで、文章としては完結しておらず、あくまで主語の人物の願望、待望に留まっていることが読み取れる。
空間設定/逆中断の用例
僕は、彼女に温めてきた想いを告げることにした。
 …彼女は静かにコクッと頷いた。
おそらく、告白かプロポーズの場面であり、ここでは登場人物の台詞が一切省略されているが、前者と異なり、結論だけがしっかりと表現されている。
暗示黙過/暗示的看過法の用例
恩師との別れが来ても、涙を見せてはいけない。彼はいつまでも、自分の成長を見守ってくれるよ。
ここでは本当に「涙を見せてはいけない」のではなく、大いに悲しんで当然である、という意味である。このように言葉では否定文でも、内容は肯定となっている場合がある。
況んやの修辞学の用例
彼女の手料理を平らげるのはやっとのことだというのに、こればっかりは…。彼は一目散に、洗面所に向かっていった。
況んやとは「尚更」という意味で、同事典で佐々木健一が補足を設けている。状況としては、登場人物の「彼女」は料理が苦手だと読み取れ、それを食べさせられる「彼」はある程度は何とか慣れているが、流石に「これ」は食べられなかったという結論である。こればっかりは…の後は省略されているが、後の彼の料理から背ける行動が記述されているので、暗示された内容は把握できるだろう。
冗語法 [編集]

詳細は「冗語法」を参照
一つの事柄に対して、必要以上の語を用いる技法。文法的には誤りだと指摘されることがあるが、ある狙いを持って意図的に用いることが多い。
用例
今起こったことをこの自分の眼でちゃんと見たぞ。
わざわざこの眼と言わずともそれは主語の人物の眼だと分かるはずであるが、剰語を用いることで、よりはっきりと今、現実にこうして見たと主張されるようになる。
あの冴えない男が今度結婚すると聞いた。あの暗くて、不格好な男が結婚するだと?
男の評価は「冴えない」で一旦表現されているので、後の表現は冗語といえるが、より主語の人物の疑り深い、信じられないという驚嘆の心が浮き彫りされる。
「そんなことしても意味がない。無意味だ。無駄だ。」
 コーチはそう一蹴した。
意味がない、無意味、無駄は全て同じ言葉であり、過剰な表現である。しかし、敢えて二重、三重に表現をすることによって、その無意味という表現を強調することができる。このような表現を冗語法の中で、原義perissology《英》に対して『無効冗語』と訳しており、『表現過剰』などと分類している学者もいる。
転用語法 [編集]

詳細は「転用語法」を参照
相手に伝えたいことを強調するために、通常使う文法形式のかわりに別の形を使いる手法。
関連項目 [編集]

修辞学
撞着語法
詭弁
参照文献 [編集]

大修館書店 佐藤信夫他 『レトリック事典』
古典 [編集]
アリストテレス『弁論術』日本語訳:戸塚七郎(岩波文庫)
キケロ『弁論家について』日本語訳:大西英文(岩波文庫)
クインティリアヌス『弁論家の教育』日本語訳:小林博英(明治図書出版)/日本語訳:森谷宇一・渡辺浩司・戸高和弘(京都大学学術出版会・西洋古典叢書。現在1巻のみ)
ディオニュシオス/デメトリオス『修辞学論集』日本語訳:木曽明子・戸高和弘・渡辺浩司(京都大学学術出版会・西洋古典叢書)
現代(海外) [編集]
Baldwin, Charles Sears, Ancient Rhetoric and Poetic: Interpreted from Representative Works, Peter Smith, Gloucester, 1959 (reprint).
Rhetorica ad Herennium, (Translated by Henry Caplan) Loeb Classical Library, Harvard University Press, 1954.
Corbett, Edward P.J., Classical Rhetoric for the Modern Student Oxford University Press, New York, 1971.
Kennedy, George, Art of Persuasion in Greece. Princeton Univ Press, 1969 (4th printing).
Lanham, Richard A., A Handlist of Rhetorical Terms, Berkeley, University of California Press, 1991.
Mackin, John H. Classical Rhetoric for Modern Discourse, Free Press, New York, 1969.
現代(日本) [編集]
脚注 [編集]

^ 佐藤信夫他『レトリック事典』
外部リンク [編集]

A Glossary of Rhetorical Terms with Examples from the University of Kentucky
A Guide to Rhetorical Ideas from Silva Rhetoricae
Figures of Speech from Paul Niquette
Figures of Speech from Silva Rhetoricae
It Figures - Figures of Speech from Jay Heinrichs
Stylistic Devices on English Grammar Online from Lingo4you GbR
Introducing Philosophy 21: Rhetoric from Paul Newall (2005)
Online Resource of Rhetorical Devices
Handbook of rhetorical devices

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