2010年5月19日水曜日

モンキー・マイア?!?

訳者あとがき(素案)

 翻訳家の仙名紀さんがブログにアップしたイルカ本。面白そうだったので、翻訳してみたいと手を上げた。出版社との出会い系サイトに翻訳企画を掲載したが、半年たっても音沙汰なし。あきらめようかと迷っているときに、下北沢の飲み屋で女の子たちが話しているのを見ていて、女の子たちが「イルカ」に見えた。翻訳作業は下北沢近辺のイルカ娘や、イルカ男たちと飲みながら進めたが、世田谷・池ノ上のジャズバーMのママPさんや、従業員のKちゃんのお世話になった。また、下北沢の沖縄バーNのママKさんや、従業員のAちゃん、Mちゃんのお世話になりっぱなし。うるさい酔っ払いイルカ男のお相手、どうもありがとうございました。その他にも、池ノ上や下北沢のたくさんの方々と楽しくやりながらの翻訳作業でした。まるで、下北沢近辺がオーストラリアのモンキー・マイアのように感じることもありました。だって、イルカ娘やイルカ男がたくさんいるんだもの。

 翻訳家の仙名先生は厳しい方で、コツしか教えてくれません。しかも、暗号のようなものが多いです。たとえば、翻訳ツールとして、編み物の道具などを推薦してくれます。お世話になりました。

    そして最後に、この素晴らしい本の原作者、
 
    レイチェルさん、カンパイ!

                       本のクリエイター 青柳洋介


イルカ男は? だれ?


 私は、イルカと話す生々しい夢を見たことがある。私はバーにいたのだが、常連のアル中がいて、煙も立ち込めていた。バーは、怪しげなたまり場のような雰囲気だった。私はモルト・スコッチのダブルをオン・ザ・ロックで楽しんでいた。少しだけ不安を感じながら、酔っ払い男がたくさんいる中で、女ひとりでカウンターに腰掛けて飲んでいた。

 ある男が私の隣に来て話し始めた。何の話だったかは忘れたが、私が男から少し目をそらして、もう一度男を見ると、男はイルカに変身していた! 男は椅子の下のほうの棒に尾ビレを乗せて、腰掛けていて、冷ややかな雰囲気を漂わせて、ちびちびと長い口先で酒を飲んでいた。

私はびっくり仰天した。

「オー・マイ・ゴッド、これだ」

と思った。

イルカ男に知りたいことを尋ねれば、イルカ男が答えを告げる

 私に与えられた唯一のチャンスだと分かっていたので、知りたいことの中で、効果的なただひとつの質問を考えた。究極の質問が何であるかを考えていたのだが、思いつかない。馬鹿げた質問でさえ思いつかない。ましてや、イルカの本質を明らかにする意味深な質問など思いつくはずもなかった。

 夢の中で、怪物がでてきたので、走って逃げようとするが、体がいうことをきかないような体験をしたことがあれば、あなたには、私の感覚が理解できると思う。私はひどく落胆したが、落胆は状況を悪化させるだけだった。時すでに遅し。イルカ男は人に戻ってしまい、チャンスは逃げた。




エピローグ

 イルカもわたしもいきている

 生涯をイルカの研究に費やして、新発見をすることは難しくはない。イルカの寿命は人と近いので、生涯をかけて観察したとしても、イルカの一世代しか見られない。しかし、年月を重ねて、私はキャンプ生活による犠牲も理解できるようになり、モンキー・マイアに別れを告げる決心がついた。

 イルカの生活を理解しようとすれば、自身の生活も犠牲にすると感じた。ニッキーやパックなどのイルカたちは、遊んで獲物を捕って育ち、イルカ関係を築いていく。そして、子どもを産んだり、子どもを亡くしたりしながら、豊かな生活を送る。私はそういうものを観察してきた。私は混乱した生活や労働条件にイラつき始めて、絶えず追い立てられながら世界を往来していると感じるようにもなった。アメリカを長く留守にしている間に、ふたつの重要な人間関係を壊してしまった。両方の国で懸命になって、友情を築く努力をしたが、社会は変化し続けるので、簡単には両国に適応できなかった。

 私は成長し続けているとは思うが、そろそろ自分自身の空間が欲しくなってきた。持ち物を片付けて、バックパックをクローゼットに放り込みたかった。朝一番にコーヒーを飲んで、少々散らかっていても、必要な物がすぐに見つかるようにしたかった。夕べにはワインを飲みながら、リラックスして静かに本を読みたかった。

 シャーク湾のイルカの生態研究に長い道のりを捧げて、いくら発見しても、新たに次の発見があることも知った。しかし、そろそろ自身の人生を優先すべきときだと感じた。定住し根を生やして、堅実な関係を築く時期だったし、机上にあるたくさんの未完成のレポートを仕上げる時期だった。オーストラリアへ往き来するペースを落として、自身の体験とイルカから学んだすべてを熟慮する時期だった。

 モンキー・マイアのイルカと最後に過ごしてから二、三年が経ち、私の生活は劇的に変わった。結婚してバーモントの田舎へ引っ越して、子どもをひとり産んで、その後も仕事を続けた。今、二番目の子どもが生まれようとしている。モンキー・マイアの状況も変化して、一九九七年の夏にはホーリフィンも死んだ。ホーリフィンは立派な老婦人だったが、年も感じさせた。獣医が解剖して、エイのトゲがホーリフィンの心臓付近に刺さっているのを発見した。それが感染症と出血を引き起こして、最終的な死因となった。だが、ホーリフィンは死を覚悟していたと思う。彼女の長く豊かな人生は、地球上のすべてのイルカのなかで最高の伝記のひとつだろう。

 ニッキーと、パックと、サプライズは今の世代の家長だ。パックの娘ピッコロと、サプライズの娘ショックと、ニッキーの娘ホーリキンはモンキー・マイアの伝統を次世代へとつなぐだろう。やがて、この母たちは次の子を生んだ。しかし、かつての経験から幼子に期待は寄せられない。少なくとも最初の二年を生き延びなければならない。私は幼子たちに生き延びてもらいたいと願う。

 自分の時間を家族のために当てている今現在、モンキー・マイアの日々は過去のものになった。優秀でモチベーションの高い次世代の学生が、イルカの研究をしている。私が最初のころに感じたスリルを彼らも味わうならば、それは素敵なことだ。

 目を閉じると、カンムリチャイロガラの歌声が聞こえてきて、イルカが闇から現れてきて、私を見上げる。だが、私たちの間には、透明で深遠な壁が立ちはだかっている。別の惑星から異星人が来るように、私たちも異世界から来て簡単に出会えるし、共有しているものもたくさんある。たとえば、私たちは互いに好奇心が強いので、出会いを妨げる恐怖心には負けない。

あなたは何?
あなたは誰?

質問に対する答えは、私たちの間に横たわっている長い歴史の中にある・・・進化したものとしてと、個人としての両方に。

 私たちの人生は山あり谷あり。生まれてから、子ども時代を過ごし、長い大人の時代になって、人生は大きく様変わりする。喜びも不満もあれば、幸運も不運もある。人とイルカは、種としては近くないが、どちらも複雑な水路の航行術を身につけた。愛したり嫌ったり、与えたり与えられたりしながら、理解し合って、友達になって交際した。私たちは長く複雑な歴史を同じ意図で今の瞬間に重ね合わせられる。

「友達になれるよ。やあ、あなた、どちら側にいたとしても、私たちの心(ハート)精神(スピリッツ)は大差ないよ!」

 カンムリチャイロガラのベルが鳴ると、イルカの姿は私の想像の世界から消える。小さな窓を通した私たちの出会いは、小さな点となり過去へ消えて行くが、その音とイメージが私を強く引きつけて、私をシャーク湾へ引き戻そうとする。近いうちにバックに荷物を詰めて、夫と子どもたちをオーストラリアへ連れて行くかもしれない。イルカたちと友情の火をふたたび燈して、私の家族と野生のイルカといっしょになって、胸がときめく触れ合いをするかもしれない。

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