2014年3月25日火曜日

村上春樹とシステム

今は、経済的には楽ではありませんが、沖電気にお世話になって良かったと思っています。

システムについて、いろいろな意味で、勉強できました。



システムの不全と現場の良心:村上春樹「アンダーグラウンド」

村上春樹の作品「アンダーグラウンド」に登場するインタビュイーのトップバッターは和泉きよかさんという26歳の女性だ。彼女は外資系の航空会社に勤務していることになっているが、かつてはJRの総合職として働いた経験もある。

その彼女が3月20日という運命の日に、通勤途上の千代田線の車内と霞が関の駅周辺で経験したことを語ってくれた。その内容は、事件現場の混乱ぶりと悲惨さを詳細にしかも迫力ある語り口で語っている。我々はそれを読むことで、圧倒的な臨場感を以てこの事件を追体験できるほどだ。彼女の話は、これから展開していく多くの語り手による膨大な数の物語をある意味で先取りしているところがある。

彼女はサリンがまかれた列車に乗っていたが、幸い自分の乗っていた車両がサリンから離れていたので直接的なダメージは受けないで済んだ。それでも身体の不調を感じながら地上に出ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。彼女がトイレにいったりして時間が過ぎている間に、大勢の人が地上に出てきていたのだが、その人たちの様子は彼女の度肝を抜くものだった。

「そこはなんというか、もう<地獄>という形容がぴったりの様子でした・・・私たちがいたのはちょうど、霞が関の通産省の門の前だったんですが、人が口から泡を吹いて何人も倒れているんです。道路のこっち側はほんとうに地獄のような光景だった。それなのに道路のあっち側半分は、何事もなくいつもどおり通勤していく人々の世界なんです」

この言葉が物語るように、東京という都会の真ん中で突然出来した危機的状況をめぐって、それがまるで他人事のように打ち捨てられ、緊急かつ徹底した解決に向けて何ら有効な動きがなされていなかったという事実、その重みが我々読者を圧倒する。

結局彼女が目撃した人々のうち、何人かは有効な手当てを施されぬまま死んでいった。彼女はそのことに個人的な怒りを感じる。

「通産省の門番みたいな人がすぐ目の前に立っています。こっちには三人の人が倒れて、地面に横になって、来ない救急車をじっと待っているんです。すごい長い時間です。でも通産省の人は誰も助けを呼んでくれない。車を呼んでくれるでもない。8時10分にサリンがまかれていますから、それから救急車が来るまで1時間半以上かかっています。その人たちはその間そこに放ったらかしにされていたんです」

そういう彼女自身は、病人を救うために自分のできる限りのことをした。通り合わせた車の運転手に頼んで病人を病院へ運んでもらった。その時に優先通行ができるようにと、赤いハンカチを運転手に渡してやった。緊急時には赤いハンカチを振ると救急車なみの優先通行ができると、JR時代に教えられていたのだ。

しばらくすると放送局の連中がやってきた。彼らの目的は現場の状況を、自分たちなりのロジックにしたがって報道することだ。そこで彼女を含めてそこにいた人々のうち、都合のよさそうな人を選んで取材攻めにする。そのやり方がいかにもえげつない、彼女は放送局のえげつなさの犠牲になりかけている女性を助けてやったりもする。

とにかく彼女の目に映る現場の様子は混乱そのものだった。秩序だった動きはどこにもない。

彼女はいう、「ぱっと一目見たときに、そこで冷静に処理している人が一人もいないことに気が付きました」

彼女のかかわった人々の中で、治療が間に合わずに死んだ二人は、いずれも営団地下鉄の職員だった。地下鉄の職員は地下鉄の安全対策の最前線にあるわけだから、当然事故の影響をもっとも深刻に受け立場にある。そんな彼らから多くの犠牲者が出るのはある意味で避けようのないことだ。だが、この時に彼女の近くで死んでいった二人の職員は、ぜったいに死なねばならぬ境遇にあったわけではない。処置が適切であったならば、あるいは救われたかもしれないのだ。

というのも、生き残った彼らの同僚の証言が、そう感じさせるからだ。

豊田利明さんという52歳の駅員の証言は、死んだ二人の様子をよく物語っている。死んだ二人のうち駅務助役の高橋さんはサリン袋を直接処理したことで深刻なサリン中毒になって死んだ。もう一人の菱沼さんのほうは乗務助役で、サリン袋には触っていないはずだったが、至近距離にいたおかげでサリンガスを大量に吸い込んだのだろう。それが原因で死んだ。

しかし豊田さんの証言を読んでいてひとつ不審に思ったのは、こういう異常事態、それも影響の大きな事態が生じているのに、彼ら現場にいる職員だけで対応するばかりで、営団が組織として対応しているという様子が見られないことだ。職員が死にかかっているのに、組織としてはまったく知らん顔をしているといった光景が目に浮かんでくる。いわんや乗客の安全のために組織全体で取り組もうという姿勢はどこにも見られない。

仲間の命を救おうと、現場にいる職員が救急要請しても、実際に救急車が到着するのは、先ほどの和泉さんの証言にあるとおり、1時間以上も後のことだ。これでは助かる命も助からない。

現場の職員は営団の上層部に的確な情報をあげなかったのか、あるいはあげたにもかかわらず上層部が適切に対応しなかったのか。この証言集からは浮かび出てこない。しかし営団と云う組織が、危機管理という点で決定的な欠陥を抱えていたことは確かなようだ。

都営地下鉄も含めて、地下鉄組織と云うのは、現場と司令部とがうまくかみ合っていないところがあるようだ。現場の職員は自分なりの責任意識を以て必死に働いているのに、組織の上層部はそれをフォローしない。その結果現場の人間の努力は的をはずれ、右往左往するばかりで、挙句に助かるべき命も助からない、そういった構図が見えてくる。

村上もその辺は問題意識を持っているようで、現場の良心に適切に応えることのできないシステム全体の不全、とりわけトップの責任を厳しく指摘している。

「営団地下鉄や消防庁や警察庁のトップが、現場の人々が当日命がけで遂行した良心的な仕事に見合うだけの機敏な処理、誠実な対応をしているとは、私にはどうも思えないのだ。当日の行動に関してもそうだし、現在の姿勢に関してもそうだ」

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