2014年5月30日金曜日

エピローグ

エピローグ

 イルカもわたしもいきている

 生涯をイルカの研究に費やして、新発見をすることは難しくはない。イルカの寿命は、人と近いので、生涯をかけて観察したとしても、イルカの一世代しか見られない。しかし、年月を重ねて、私は、キャンプ生活による犠牲も理解できるようになり、モンキー・マイアに別れを告げる決心がついた。
 イルカの生活を理解しようとすれば、自身の生活も犠牲にすると感じた。ニッキーやパックなどのイルカたちは、遊んで獲物を捕って育ち、イルカ関係を築いていく。そして、子どもを産んだり、子どもを亡くしたりしながら、豊かな生活を送る。私はそういうものを観察してきた。私は混乱した生活や労働条件にイラつき始めて、絶えず追い立てられながら世界を往来していると感じるようにもなった。アメリカを長く留守にしている間に、ふたつの重要な人間関係を壊してしまった。両方の国で懸命になって、友情を築く努力をしたが、社会は変化し続けるので、簡単には両国に適応できなかった。
 私は成長し続けているとは思うが、そろそろ、自分自身の空間が欲しくなってきた。持ち物を片付けて、バックパックをクローゼットに放り込みたかった。朝一番に、コーヒーを飲んで、少々散らかっていても、必要な物がすぐに見つかるようにしたかった。夕べにはワインを飲みながら、リラックスして、静かに本を読みたかった。
 シャーク湾のイルカの生態研究に長い道のりを捧げて、いくら発見しても、新たに次の発見があることも知った。しかし、そろそろ自身の人生を優先すべきときだと感じた。定住し、根を生やして、堅実な関係を築く時期だったし、机上にあるたくさんの未完成のレポートを仕上げる時期だった。オーストラリアへ往き来するペースを落として、自身の体験とイルカから学んだすべてを熟慮する時期だった。
 
 ニッキーと、パックと、サプライズは今の世代の家長だ。パックの娘ピッコロと、サプライズの娘ショックと、ニッキーの娘ホーリキンは、モンキー・マイアの伝統を次世代へとつなぐだろう。やがて、この母たちは次の子を生んだ。しかし、かつての経験から、幼子に期待は寄せられない。少なくとも、最初の二年を生き延びなければならない。私は、幼子たちに生き延びてもらいたいと願う。
 自分の時間を家族のために当てている今現在、モンキー・マイアの日々は、過去のものになった。優秀で、モチベーションの高い次世代の学生が、イルカの研究をしている。私が最初のころに感じたスリルを彼らも味わうならば、それは素敵なことだ。
 目を閉じると、カンムリチャイロガラの歌声が聞こえてきて、イルカが闇から現れてきて、私を見上げる。だが、私たちの間には、透明で深遠な壁が立ちはだかっている。別の惑星から異星人が来るように、私たちも異世界から来て、簡単に出会えるし、共有しているものもたくさんある。たとえば、私たちは、互いに好奇心が強いので、出会いを妨げる恐怖心には負けない。

あなたは何?
あなたは誰?

質問に対する答えは、私たちの間に横たわっている長い歴史の中にある・・・進化したものとしてと、個人としての両方に。

 私たちの人生は山あり谷あり。生まれてから、子ども時代を過ごし、長い大人の時代になって、人生は大きく様変わりする。喜びも不満もあれば、幸運も不運もある。人とイルカは、種としては近くないが、どちらも複雑な水路の航行術を身につけた。愛したり嫌ったり、与えたり与えられたりしながら、理解し合って、友達になって交際した。私たちは、長く複雑な歴史を、同じ意図で今の瞬間に重ね合わせられる。

「友達になれるよ。やあ、あなた、どちら側にいたとしても、私たちの心(ハート)と精神(スピリッツ)は大差ないよ!」

 カンムリチャイロガラのベルが鳴ると、イルカの姿は私の想像の世界から消える。小さな窓を通した私たちの出会いは、小さな点となり過去へ消えて行くが、その音とイメージが私を強く引きつけて、私をシャーク湾へ引き戻そうとする。近いうちにバックに荷物を詰めて、夫と子どもたちをオーストラリアへ連れて行くかもしれない。イルカたちと友情の火をふたたび燈して、私の家族と野生のイルカといっしょになって、胸がときめく触れ合いをするかもしれない。

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