2014年7月10日木曜日

美術

AUTHOR: AO
TITLE: 美術
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CATEGORY: アート & サイエンス

DATE: 03/07/2005 07:09:58 PM
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●中学生のころ、実家にあった美術全集を時々眺めていた。そのころに特に印象に残ったのは、ダリのゆがんだ時計。モジリアニの人物画。ピカソの抽象画。ルソーの幻想的なジャングルの絵。ミロのブルー。マイヨールの豊満な女性の彫刻。ムンクの叫び。特に不思議だったのは、ミロのブルー。一面の青地に数個の赤い点だけ。こんなの誰でも描けるのに、何でこれが名画?この疑問に僕なりに結論が出たのは、町の彫刻家の梨風さんとメールで物理学についてなど、議論していたときのこと。すばらしさは、そのシンプルさ。それまでに、そんな絵はなかった。その話が元で、以下のようなやりとりをした。

今、僕は、ミロのブルーのすばらしさは、そのシンプルさだと感じている。
クエスチョン(Question、疑問)は、 シンプル(Simple、単純)になればなるほど、よりいっそう、難しくなる。
そして、最もシンプルなクエスチョンは、最も難しい。
クエスチョンは、コンプレックス(複雑)になればなるほど、よりいっそう、難しくなる。
そして、最も複雑なクエスチョンは、最も難しい。
(僕)

1960年代の後半に現代美術でミニマルアートというのが興った。ステンレスの立方体の箱が4個システマティックに空間に置かれただけだったり(ドナルド・ジャッド)、素材をまったく消したニュートラルなブルーの柱が壁に立てかけてあったり(ジョン・マックラッケン)とか、排除できる要素を全部排除して、最後に残った物体だけを提示していた。

僕もミニマルアートを意識して、作品を作っていたけど、最後に排除できないものを、提示するのはそれの本質がそのまま現れることだと思った。またそのことは一見シンプル化するように見えるが、単純に見える現象が内包している複雑さや奥の深さを露わにさせる方法だと思った。
(梨風さん)

梨風さんのメッセージから、僕は、天気のいい、非常に穏やかな海を連想しました。また、ハーモニー、良いバランスなどを連想しました。
(僕)

●高校時代は、芸術科目は美術を選択したが、たまたま正規の先生の具合が悪いということで、東京から帰ってきたばかりの若い先生だった。美術の時間は、遊びの時間だった。そういえば、武道は剣道を取った。厳しい先生だった。真っ暗な中を朝早くから、寒稽古に行ったのが思い出される。
●大学で東京に来たので、モジリアニ展、ピカソ展、マチス展などに行ってみた。他のものと同様に、知り合いの絵描きができて、そいつの展覧会に行くのがメインとなった。美濃瓢吾という「招き猫」の専門絵描き。東京都美術館で、人人展というのを毎春行なっていた。この展覧会は、無政府状態というか?いろんな人がいろんな作品を出品していた。なんじゃー、これ?というのもあった。印象に残っているのは、瓢吾の師匠の平賀敬、不思議な絵を描くスズキ・コージ、「原爆の図」の丸木夫妻。
●その後は、新中野にある「無寸草」というギャラリーがメインになった。ボロアパートの2階の部屋をぶち抜いて、土壁に作品を飾るギャラリーは、それ自体が作品のようなものだった。ここで、印象深い作家は、前述のスズキ・コージ、優しい絵を描く沢田としき、あったとたんに共振・共鳴してしまったアキノ・イサム。イサムさんの絵が一発で気に入り、僕にしては高価な絵を買った。「不思議の国の青の目人間」という作品。イサムさんに絵の説明を聞いたら、岩、貝殻、珊瑚、真珠などをすりつぶして絵の具にし、麻の布に描いている。100年経ったら、色がもっとすばらしくなる。それ以外の説明は一切無し。説明もものすごく気に入った。そういえば、絵を買ったのは、バリ島が初めて。クタビーチの小さな路地の中の薄暗い作業場で、描いたものを即売していた。彼も、この絵は長持ちする、丈夫だとしか言わなかった。買った絵は、この2枚だけ。バリで買った絵は、二束三文だったと思うが、今でも美しく、自分の部屋に飾っている。

(あ洋介!)
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