2014年12月26日金曜日

緑本第一弾

ペルシャ王と海の女王 350円


岩波少年文庫から、翻訳の泰斗、中野好夫さんの訳が出ているらしいが、まあいいや・・・

Kindle個人出版のテストケースのひとつです。


中野 好夫(なかの よしお、1903年明治36年)8月2日 - 1985年昭和60年)2月20日)は日本の英文学者評論家。英米文学翻訳者の泰斗であり、訳文の闊達さでも知られている。

愛媛県松山市生まれ。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)在学中、スパルタ教育に反発して退学。のち第三高等学校を経て、東京帝国大学文学部英文学科斎藤勇に師事。同じ斎藤勇の弟子に平井正穂がいる。
1926年大正15年)に卒業後、新聞社入社に失敗して千葉県の私立成田中学校に英語教師として赴任。1929年(昭和4年)に東京府立女子師範学校兼府立二女教師、1932年(同7年)から東京女高師教授などを経て、1935年(同10年)から東京帝国大学助教授。その風貌とシニカルかつ骨太な性格から「叡山僧兵の大将」との異名を取った。この時期の教え子に木下順二丸谷才一野崎孝などがいる。
1945年(昭和20年)、敗戦を機に社会評論の分野に進出。1948年(昭和23年)から東京大学教授。この時期、太宰治の短篇「父」を「まことに面白く読めたが、翌る朝になったら何も残らぬ」と評したため、太宰から連載評論『如是我聞』の中で「貪婪、淫乱、剛の者、これもまた大馬鹿先生の一人」とやり返されたこともある。これに対して中野は、太宰の死後、『文藝1948年(昭和23年)8月号の文芸時評「志賀直哉と太宰治」の中で「場所もあろうに、夫人の家の鼻の先から他の女と抱き合って浮び上るなどもはや醜態の極である」「太宰の生き方の如きはおよそよき社会を自から破壊する底の反社会エゴイズムにほかならない」と指弾した。
1949年(昭和24年)、平和問題懇談会に参加し、全面講和を主張。1953年(昭和28年)、「大学教授では食っていけない」との理由で退官し、『平和』誌の編集長となる(1955年まで)。朝鮮戦争による好況を背景に、1956年(昭和31年)、『文藝春秋』2月号に発表した「もはや戦後ではない」という評論の題名は翌年の経済白書に取り上げられ、流行語となった。
1961年(昭和36年)から翌年までスタンフォード大学客員教授。1965年(昭和40年)から1968年(同43年)まで中央大学文学部英文科教授。
1958年(昭和33年)から1976年(昭和51年)まで憲法問題研究会に参加。護憲、反安保、反核、沖縄返還、都政刷新を主張。沖縄問題への取り組みとして沖縄資料センターを設立、のち法政大学沖縄文化研究所に引き継がれた。1985年(昭和60年)に肝臓がんにより亡くなった。
1976年からエドワード・ギボンローマ帝国衰亡史』完訳を目指し、刊行開始したが、シリーズ全体の半ば(5巻目)で病没。元同僚の朱牟田夏雄が引継ぎ、次に長男中野好之が訳業を続け、1993年平成5年)に全11巻で完結した。
岩波書店のPR月刊誌『図書』に、1970年1月号から1985年1月号まで、「淮陰生」の筆名でエッセイ「一月一話」を連載した。連載終了時期やエッセイの内容、1995年に刊行された完本版の著作権表示が中野夫人になっていることから、中野の著作であることが確定している。

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