2015年4月29日水曜日

あとがき

もはや、いつ死んでも良い。

生きるだけ生きて、安楽死が望みです。


あとがき

 人生は、仕事、生活、娯楽。僕の人生の出口は浄瑠璃世界の運営であり、シャングリラを見ることである。そして、人生の最後はあの世行き。冥土へ行くか? 極楽へ行くか? 悟りを開くとは、梵我一如となることだ。ブラフマンとアートマンが一体化すること。これはヒンドゥー、仏教の世界だ。僕はグレイトシステムと浄瑠璃世界の一体化を目指している。
 梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想である。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう。

梵我一如

じょうるり-せかい  【浄瑠璃世界】
〔仏〕 薬師如来の浄土。地は瑠璃から成り、建物・用具などがすべて七宝造りで、無数の菩薩が住んでいるという。薬師浄土。

 シャングリラは阿閦世界である。阿閦如来(あしゅくにょらい)、梵名アクショービヤ 仏教における信仰対象である如来の一尊で、阿閦仏ともいう。また漢訳仏典では阿閦婆などとも音写し不動、無動などとも訳される。三昧耶形は五鈷金剛杵。種子(種字)は憤怒の叫びを表すウーン(huuM)。阿閦如来は密教における金剛界五仏の一で、金剛界曼荼羅では大日如来の東方(画面では大日如来の下方)に位置する。唯識思想でいう「大円鏡智」(だいえんきょうち)を具現化したものとされる。また胎蔵界の東方、宝幢如来と同体と考えられている。梵名のアクショービヤとは「揺るぎない」という意味で、この如来の悟りの境地が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示す。印相は、右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(そくちいん)を結ぶ。これは、釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘惑を受けたが、これを退けたという伝説に由来するもので、煩悩に屈しない堅固な決意を示す。

グレイトシステムにおけるシャングリラの出現





ブッククリエイター 青柳洋介

http://ayosuke.blogspot.jp/


1981年 東京大学工学部物理工学科卒業
1981年 沖電気工業株式会社
2004年 翻訳業
2009年 クリエイター

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