2015年5月15日金曜日

ダブルスタンダード

世界は、グローバル標準、ローカル標準のダブルスタンダードになっていると思います。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89
同種事への対処にあたって相矛盾する二つの基準を使い分けることをす。日本語では二重基準など。錯誤が背景にあるもの、感情が背景にあるもの、利背景にあるものなどがある。
明らかに基準外のものを放置しながら基準に抵触するか怪しいものを狙い撃つような場合や、自身が批判と同じ行動を取った場合等、『お前が言うな』的状況が多く、性を欠く点が問題となる。
このような不がまかり通ってしまう背景には、全く同じ事と言うものは通常は発生しないため、わずかな差を理由に言い逃れをされたり、仮にダブルスタンダードであることが示されてもそれを判定したり処罰したりする仕組みが存在しなかったりするということが挙げられる。
ただし、子供の自由権の制限や障者に対する支援等、判断を変える背景・差違が十分に合理的なものであれば(それが合理的であるかの議論の余地はあるが)ダブルスタンダードとはいわない。
また、使用者本人がそもそもを期していない場合については、ダブルスタンダードよりむしろ暴論・強権の類として批判されるべきものである。
とはいえ、ほとんどの人間が生きていく中で「それはそれ、これはこれ」などと言いながら、その理由をきちんと説明できなかった経験はあると思われる。
一般人なら周囲から嫌われる程度で済むが、政治マスコミ国家など政治的影の大きさに例してダブルスタンダードの弊は大きくなり、非常に厄介である。

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