「マトリョーシャカ」、個人的にはかなりツボです。
http://www.asahi.com/articles/ASH4N3GBNH4NPOMB004.html
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物理学
物理学はギリシャ哲学に端を発する。自然の摂理の探求から始まった。
・無知の知 - ソクラテス
・無悟の悟 - 一休
・無心の心 - 道士、老師、仙人
コペルニクスの地動説は天地動説をもって、その観点は必ずしも正しくないという見解をだした。
融合方程式
時は前にしか進まない。エネルギーの不可逆遷移過程である。時空の存在理由は不明である。創造主が創ったとしか言いようがない。生命の誕生は神秘である。物質に複雑化する性質があるのだろう。四つの力と関係している。引力、電磁力、強い核力、弱い核力。まだ発見されていない第五の力があるかもしれない。
・胡蝶の夢とマトリューシカの夢
荘子の胡蝶の夢は相対的二重世界を表している。
「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。」
マトリューシカの夢は夢幻であり無限的多重世界を表している。
「マトリューシカの夢の中でマトリューシカが夢を見ていた。そのマトリューシカの夢の中でマトリューシカが夢を見ていた。そのマトリューシカの夢の中でマトリューシカが夢を見ていた・・・」
存在とはエネルギーが形象化された現象である。時間とはエネルギーの遷移である。そして、宇宙はエネルギーの連鎖で形成されている。なおかつ、その連鎖は不可逆過程である。空間はエネルギーの相対的関係から発生する。宇宙はフェノミナであり、物質もフェノミナであり、生命もフェノミナである。
太陽から、電磁波(光)によってエネルギーが伝播してくる。太陽自体は核融合反応をしており、その過程でエネルギーの一部が電磁波となり空間を伝播する。月は太陽の電磁波を反射している鏡のようなものである。火は化学反応で発生するが、その過程でもエネルギーの一部が電磁波となり空間を伝播する。
エネルギーが場を形成しフェノミナとして物質化し、フェノミナは場を通してダイナミックに干渉しあっている。宇宙はエネルギーがダイナミックに変化するフェノミナである。宇宙は生きている限り、真の意味でスタティックではない。
生命はエネルギーのひとつのフェノミナである。時空は重力場と電磁場を形成している。物質はフェノミナである。物質は4つの力を有している。引力、電磁力、強い核力、弱い核力。存在は時空の中で動的に流れているフェノミナを静的に捉えたものにすぎない。つまり、観測できたフェノミナを存在と呼ぶ。
引力は物質が持つ摩訶不思議な力、引きあうのみである。一方、電磁力は引力と斥力を持つ摩訶不思議な力。性質が同じものは反発しあう。性質が違うものは引きつけあう。
化学反応では質量不変の法則が成立する。火が発生するとき、光が見えるということは、光が電磁場を通じて伝播している。化学反応で発生した光エネルギー対して質量は減らない。これに対しては、化学反応により電子などのエネルギー順位の差が熱エネルギー、光エネルギーに変わったと説明される。物質に元来内包していたエネルギーが波となって放出されただけだ。よって、質量は不変である。
宇宙は無限世界である。
・老子の世界 - 虚無
【虚無】きょむ
[史記(太史公自序)]老子の説。有無相対を超越した境地。天地万物は一と称する認識を超越した本体より発生するが、それには形状がなく、見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえない。そこで虚無という。
【虚空】こくう
何もない空間。そら。仏典では、一切の事物を包容してその存在を妨げないことが特性とされる。
ライプニッツの予定調和を否定する。フェノミナが時空の中を動的に流れていくので調和して止まることはありえない。常に変化が続く。予定調和でなく、諸行無常、万物流転である。予定調和があるとすれば、それは宇宙の熱死である。複雑系の研究から生まれた部分の総和は全体を超えるという説も否定する。全体は部分の総和である。部分の総和が全体となるのはパーフェクトな場合のみである。ただ、人智ではすべての部分を見ることができないし、全体を正確に捉えることも不可能だ。一個の人体でも部分である。環境などと繋がっている。だから、部分の総和は全体を超えると思っていても良い。部分と全体は相補的に捉えれば良い。だが、部分に重きを置きすぎなので、ホリスティックな観点が重要だ。
全体がパワーアップするには、部分がいかにうまく繋がるかにかかっている。その個々の部分もさらに細かいフェノミナから構成されている。個々のフェノミナとしての部分自体のパワーアップも必要だ。ようするに、リレーショナルフェノミナの質量問題だ。宇宙全体もフェノミナ、ある物質もフェノミナ、ある生命体もフェノミナである。パーフェクトなものがあるとしたら宇宙全体だけだ。人間が考えるパーフェクトなものは、ほとんどが仮想的なものだ。カウントすること自体も仮想的なのである。完全な直線などは、もともと存在しない仮想的なものだ。地球の公転周期もゆらいでいる。原子時計でさえゆらいでいる。厳密な意味での正確な時間などは、人間には作り出すことができないのだ。
時空を含め、宇宙はフェノミナの複合体なのだ。揺れている、振動している。エネルギーとは波だ。物質とは波がフェノミナとして顕在化しただけのものだ。生命も同様のものだ。タバコの煙の粒子一個(厳密な意味では捉えることは不可能)は時空を持つ物質だ。個々のフェノミナ自体が時空を持ち、それらが織りなして宇宙全体がひとつのフェノミナとなっている。
存在とはフェノミナをスタティックに捉えたものである。ところが、宇宙にはスタティックなものなどない。フェノミナはダイナミックである。生とはあるフェノミナが発生すること、死とはそのフェノミナが解体して個々の小さなフェノミナに分散すること。よって、死もスタティックではない。個々の小さなフェノミナに分散するがフェノミナ自体はダイナミックだ。生命体の形態をしたフェノミナは他のフェノミナに影響を及ぼす。たとえ、生命体の死が訪れても、生命体としてのフェノミナが他のフェノミナへ及ぼした影響は消滅しない。フェノミナは脈々と連なっている。
物理学はギリシャ哲学に端を発する。自然の摂理の探求から始まった。
・無知の知 - ソクラテス
・無悟の悟 - 一休
・無心の心 - 道士、老師、仙人
コペルニクスの地動説は天地動説をもって、その観点は必ずしも正しくないという見解をだした。
融合方程式
時は前にしか進まない。エネルギーの不可逆遷移過程である。時空の存在理由は不明である。創造主が創ったとしか言いようがない。生命の誕生は神秘である。物質に複雑化する性質があるのだろう。四つの力と関係している。引力、電磁力、強い核力、弱い核力。まだ発見されていない第五の力があるかもしれない。
・胡蝶の夢とマトリューシカの夢
荘子の胡蝶の夢は相対的二重世界を表している。
「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。」
マトリューシカの夢は夢幻であり無限的多重世界を表している。
「マトリューシカの夢の中でマトリューシカが夢を見ていた。そのマトリューシカの夢の中でマトリューシカが夢を見ていた。そのマトリューシカの夢の中でマトリューシカが夢を見ていた・・・」
存在とはエネルギーが形象化された現象である。時間とはエネルギーの遷移である。そして、宇宙はエネルギーの連鎖で形成されている。なおかつ、その連鎖は不可逆過程である。空間はエネルギーの相対的関係から発生する。宇宙はフェノミナであり、物質もフェノミナであり、生命もフェノミナである。
太陽から、電磁波(光)によってエネルギーが伝播してくる。太陽自体は核融合反応をしており、その過程でエネルギーの一部が電磁波となり空間を伝播する。月は太陽の電磁波を反射している鏡のようなものである。火は化学反応で発生するが、その過程でもエネルギーの一部が電磁波となり空間を伝播する。
エネルギーが場を形成しフェノミナとして物質化し、フェノミナは場を通してダイナミックに干渉しあっている。宇宙はエネルギーがダイナミックに変化するフェノミナである。宇宙は生きている限り、真の意味でスタティックではない。
生命はエネルギーのひとつのフェノミナである。時空は重力場と電磁場を形成している。物質はフェノミナである。物質は4つの力を有している。引力、電磁力、強い核力、弱い核力。存在は時空の中で動的に流れているフェノミナを静的に捉えたものにすぎない。つまり、観測できたフェノミナを存在と呼ぶ。
引力は物質が持つ摩訶不思議な力、引きあうのみである。一方、電磁力は引力と斥力を持つ摩訶不思議な力。性質が同じものは反発しあう。性質が違うものは引きつけあう。
化学反応では質量不変の法則が成立する。火が発生するとき、光が見えるということは、光が電磁場を通じて伝播している。化学反応で発生した光エネルギー対して質量は減らない。これに対しては、化学反応により電子などのエネルギー順位の差が熱エネルギー、光エネルギーに変わったと説明される。物質に元来内包していたエネルギーが波となって放出されただけだ。よって、質量は不変である。
宇宙は無限世界である。
・老子の世界 - 虚無
【虚無】きょむ
[史記(太史公自序)]老子の説。有無相対を超越した境地。天地万物は一と称する認識を超越した本体より発生するが、それには形状がなく、見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえない。そこで虚無という。
【虚空】こくう
何もない空間。そら。仏典では、一切の事物を包容してその存在を妨げないことが特性とされる。
ライプニッツの予定調和を否定する。フェノミナが時空の中を動的に流れていくので調和して止まることはありえない。常に変化が続く。予定調和でなく、諸行無常、万物流転である。予定調和があるとすれば、それは宇宙の熱死である。複雑系の研究から生まれた部分の総和は全体を超えるという説も否定する。全体は部分の総和である。部分の総和が全体となるのはパーフェクトな場合のみである。ただ、人智ではすべての部分を見ることができないし、全体を正確に捉えることも不可能だ。一個の人体でも部分である。環境などと繋がっている。だから、部分の総和は全体を超えると思っていても良い。部分と全体は相補的に捉えれば良い。だが、部分に重きを置きすぎなので、ホリスティックな観点が重要だ。
全体がパワーアップするには、部分がいかにうまく繋がるかにかかっている。その個々の部分もさらに細かいフェノミナから構成されている。個々のフェノミナとしての部分自体のパワーアップも必要だ。ようするに、リレーショナルフェノミナの質量問題だ。宇宙全体もフェノミナ、ある物質もフェノミナ、ある生命体もフェノミナである。パーフェクトなものがあるとしたら宇宙全体だけだ。人間が考えるパーフェクトなものは、ほとんどが仮想的なものだ。カウントすること自体も仮想的なのである。完全な直線などは、もともと存在しない仮想的なものだ。地球の公転周期もゆらいでいる。原子時計でさえゆらいでいる。厳密な意味での正確な時間などは、人間には作り出すことができないのだ。
時空を含め、宇宙はフェノミナの複合体なのだ。揺れている、振動している。エネルギーとは波だ。物質とは波がフェノミナとして顕在化しただけのものだ。生命も同様のものだ。タバコの煙の粒子一個(厳密な意味では捉えることは不可能)は時空を持つ物質だ。個々のフェノミナ自体が時空を持ち、それらが織りなして宇宙全体がひとつのフェノミナとなっている。
存在とはフェノミナをスタティックに捉えたものである。ところが、宇宙にはスタティックなものなどない。フェノミナはダイナミックである。生とはあるフェノミナが発生すること、死とはそのフェノミナが解体して個々の小さなフェノミナに分散すること。よって、死もスタティックではない。個々の小さなフェノミナに分散するがフェノミナ自体はダイナミックだ。生命体の形態をしたフェノミナは他のフェノミナに影響を及ぼす。たとえ、生命体の死が訪れても、生命体としてのフェノミナが他のフェノミナへ及ぼした影響は消滅しない。フェノミナは脈々と連なっている。
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