2015年6月21日日曜日

ダンテ

大昔の人

キリスト教の影響が強い・・・


ダンテ・アリギエーリイタリア語:Dante Alighieri1265年 - 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人哲学者政治家
ダンテの代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄Inferno)、煉獄Purgatorio)、天国Paradiso[1]を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩神曲La Divina Commedia)』であり、他に詩文集『新生La Vita Nuova)』がある。
イタリア文学最大の詩人で[2][3]ルネサンス先駆者とされる[2]

少年時代のダンテについての確たる記録は乏しく、どのような成長過程を送ってきたかは定かではない。修道院で見習い修道士として修行してきたとも、没落貴族の子弟として世俗の中で育ってきたとも言われており、諸説は一致を見ない。多くのダンテの伝記は、ダンテ自身の作品である『新生』や『神曲』の記述に頼っており、生年月日すら詩文からの推定による他ないのである。だが、少なくとも成長の過程でラテン語の古典文法や修辞学哲学などを学んできたと思われる。
ダンテが最も敬愛する師として『神曲』に登場させているのは、『宝典』を著したイタリアの哲学者、政治家のブルネット・ラティーニ英語版である。ダンテはおそらく18歳の頃にラティーニから修辞学や論理学などを学んだとされており[2]、『神曲』地獄篇第15歌で、男色の咎ゆえに炎熱地獄に配しながらも「人間が生きる道」を教えてくれた旧師に対する敬慕を忘れていない。
また、ダンテは古代ローマの詩人ウェルギリウスマルクス・アンナエウス・ルカヌスホラティウスオウィディウスから文体の探求の過程によりラテン文学の教養を身に付け、マルクス・トゥッリウス・キケロルキウス・アンナエウス・セネカからは倫理学を学んだ。そしてダンテはフィレンツェの詩人でダンテの友人であったグイド・カヴァルカンティ英語版から大きな感化を受け、「清新体」と呼ばれる詩風を創り上げた。
ダンテは修道院が経営するラテン語学校やラティーニから学んだ後にボローニャ大学に入学し、哲学や法律学、修辞学、天文学などを研究した[5]。カヴァルカンティともボローニャ大学で知り合い、カヴァルカンティにより詩作する意欲をもらったとされる。

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