2015年6月13日土曜日

生き物係

いきものがかりという音楽グループがいます。

昔、学校で生き物係をやっていたそうです。

これは、重要な教育です。

 シャーク湾のイルカの世界への旅は、すでに、子ども時代に始まっていたのだが、その当時は、自覚していなかった。ほとんどのイルカ狂は、子ども時代にイルカへの興味の火が灯るが、私は、このようなイルカ狂には不平を抱いている。彼らは、テレビで再放送されたフリッパーがきっかけで、イルカ狂になった。私はフリッパーを見ていなし、イルカにそれほどの思い入れもなかった。だが、両親が生物学者だったので、小さなころから、動物とは切っても切れない縁があった。父は鳥類学者で、ロングアイランドの田舎に住んでいた。私は、巣から落ちた幼い鳥や、怪我した鳥の世話をさせらされた。時間があるときには、毛虫やバッタを捕まえては、幼い鳥に食べさせた。寒くないようにしてあげたし、清潔にもしてあげた。
 最近、母の古い写真入れを整理していて、「レイチェルとペット」というアルバムを見つけた。その中に、くちばしが黄色い、美しいキツツキの写真があった。キツツキは私の手に止まっていた。写真に写っている私は、身ぶるいしていて、ナーバスに見えた。父が、写真を撮ろうと言うのだが、私は、キツツキといっしょにポーズを取るのは嫌だと言いたげだった。そのキツツキは幼鳥だった。夏には、キツツキを森に連れて行った。シロアリの巣を見つけて、キツツキに、これはエサだと教えた。その後、私が馬に乗って森を通れば、彼(あるいは彼女)は、私を追ってきて、肩に留まり、驚くほど長い舌で、私の耳や、鼻の穴や、目をつついた。アヒルの子どもといっしょの写真もあった。そのアヒルは、孵化するときに、私が親であると頭に刷り込んだ。アヒルは、私が親だと勘違いして、どこへ行くときにも、私の後についてきた。私はアヒルが大好きだった。
 鳥はわが家の動物の一部にすぎなくて、犬、猫、馬、モルモット、うさぎ、アライグマ、スナネズミ、ハムスター、亀、カメレオン、ヘビ、フグなどもいた。子どもながらに、動物を熱心に可愛がって面倒を見た。それは、後に、自分の子どもが生まれたときと、同じ感覚だった。動物の子どもでも、自分の子どもでも、区別せずに、安全で快適にしてあげて、立派に育てようと思った。
 成長時に、動物と共にした経験は、人にとっても大きな意味があると、私は確信している。私は、生き物の世話をする責任を動物たちに教えられた。アオカケスの子を手に包み込んで、暖めながら寝たのを思い出す。命がどのように育まれるかを動物が教えてくれた。ひよこが卵の中で育つ様子を観察したときには、大きな畏敬の念に打たれた。母といっしょに、顕微鏡のスライドと油を使って、のぞき窓を作り、ひよこが孵卵器で育つのを観察した。動物は、死についても教えてくれた。遅かれ早かれ、死は訪れる。ペットが死ぬか、姿を消したときに、私は、たとえ取り乱したとしても、立ち直れるようになった。
 思春期が訪れて、私の興味は、動物から男の子へ移った(おそらく動物と大差ない)。私は高校をドロップアウトして、ピーター・バーンズという男の子を追って、カリフォルニアへ行った。ピーターが、イルカの面白さを教えてくれた。私たちは、ジョン・リリーの本『人間とイルカ』“Man and Dolphin“『イルカの心』“The Mind of the Dolphin“『イルカと話す日』“Communication Between Man and Dolphin“をいっしょに読んだ。著者のリリーは神経生物学者で、イルカが驚くほど大きな脳を持つことを発表した。イルカは、人よりも知的かもしれないし、人と同じように、言葉を使っているかもしれないと主張した。
 不幸なことだが、リリーはイルカ脳力の代表者となり、LSDを試して魅了されてしまった。そして、議論が首尾一貫しなくなった。だが、彼の本は、私自身を含めて、人びとの心に強い観念を植えつけた¦¦地球上に別の種族がいるかもしれない。それも海の種族だ。高度な知能を持ち、共感や優しさを持ち、知的に心を通わす種族で、深い思想や、アイデアや、思慕も持つ地球を旅する仲間だ、と。この観念は素敵で刺激的だった。私はその魅力に取りつかれた。

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