2016年2月25日木曜日

田中正造@人

岩波書店
「3.11を心に刻んで」2014年12月11日号に,経済学者の金子勝さんが選んで下さった言葉です.「真の文明は山を荒らさず,川を荒らさず,村を破らず,人を殺さざるべし」(政治家,田中正造)


田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)は、日本の政治家。日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家として有名。衆議院議員選挙に当選6回。


12月10日、東京市日比谷において、帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行う。途中で警備の警官に取り押さえられて直訴そのものには失敗したが、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。


財産はすべて鉱毒反対運動などに使い果たし、死去したときは無一文だったという。死亡時の全財産は信玄袋1つで、中身は書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ伝の合本だけであった。


足尾銅山は1973年(昭和48年)に閉山となり、現在でもその跡を残している。そして田中が明治天皇へ行おうとした直訴は、時を経て2013年に渡良瀬遊水地や田中の出生地である佐野市を訪れたその曽孫・今上天皇へと伝えられることとなった。未遂から実に113年後のことであった。

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