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2014年8月29日金曜日

出版からも遠のいた

以下のような状況なので、出版からも遠のいた。

今さら、世に問うべきものは無くなった・・・

グレイトシステムの続きをブログに書いている。

おそらく、第二版は出さない。出しても意味がないから・・・

グレイトシステム以外では、バビロンシステムのあるセクトのあるポジションのテーマを書くしかない。あまり意味がない。

『ペルシャ王と海の王女』も、かつてのバビロンシステムの物語です。出しても良いが、出さなくても良い。今さら、昔のバビロンシステムの物語を出しても、大した意味はない。


ディバインシステムの話になると、人が介在しない野生の王国のような話しかない。人にディバインシステムは創れないだろう・・・

シャングリラはディバインシステムかもしれないが・・・




質量
金、愛、論で、人は動く。
量よりも、質じゃないの?

僕の場合
ヤンリーピンのシャングリラが基準になった。
質がシャングリラ以下だと思ったら、原則として、劇場へは行かない。
映画館へは原則として行かない。ホームシアターで観る。
本屋へは原則として行かない。アマゾンで買う。滅多には紙の本は買わない。


高級品を観ると、それ以下のモノに、食指が動かなくなる。
映画も観終わった気がする。本も読み終わった気がする。
本は若干は残っているが、滅多には読みたい本はない。


音楽も、今あるストックで十分です。
基準がベルリンフィルの春の祭典になってしまった。
ジャズのライブには行きますが・・・


アート作品も、今更観たいものはとくにない。ピカソのゲルニカくらいかな?
自然界を観ていると、人間が作るものはたかが知れている。
ネイチャー・ウォッチングがよろしいようで・・・


食 > 情報 > 衣 > 住 > 医
現時点で、とくに不足しているものはない。


人間が作るさまざまなアートはあるが、バリ島のクタビーチの朝の散歩で感じた、波の音、風の音、光の中で感じた宇宙との一体感には及ばない。
梵我一如です。


イスラムの礼拝は、アッラーと一体化することだろうな?
梵我一如を目指しているのだろう・・・


仏教も、だれでも、仏陀になれる。
梵我一如です。


梵我一如になっても、その状態は続かない。
悟った人だけがその状態を続けるのだろう・・・
その状態を続けると、現実離れしてしまうので、お寺にこもるしかなくなる・・・


ダライラマは仏陀だが、今は衆生を救う菩薩になっている。


ジーザスもゴッドと一体化したと思われる。
そして、菩薩としてキリストになった。
キリスト教徒はジーザスを通して、ゴッドと繋がっていると思われる。


釈迦、ジーザス、ムハンマドなどは、進化した人類だと思われる。
脳が進化した・・・


世界は自然の摂理と宇宙の原理の下にある。
人はその下に、5つのメジャーシステムを構成している。
メジャーシステムの下にサブシステムを構成している。


宗教的システムだけで、世界は動いてはいない。

とくに欲しいものはない。
欲しいものは現状維持です。サステナビリティです。



とくに欲しいものはない。
欲しいものは現状維持です。サステナビリティです。
持続可能な世界の実現です。 pic.twitter.com/RsNww0mstB


原則は? ROIの評価である。投資に対する効果(マネーベース)
くわえて、事業の効果性、妥当性、将来性、、、(質・量・単価)
参考)評価基準は?
質の評価とは? 
価値の創造である・・・ 生産性の改善でもある・・・ ムリ、ムダ、ムラの排除でもある・・・
価値と質・量・単価について
初めに評価ありき・・・
質を評価して、単価が決まる。
よって、情報であろうが、物であろうが、人であろうが(ただし、経済的な意味です)、
情報の価値 = 単価 × 量(ただし、情報の質 = 単価)
物の価値 = 単価 × 量(ただし、物の質 = 単価)
人の価値 = 単価 × 量(ただし、人の質 = 単価、経済的な意味においてのみ)

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