Book Creator 検索

カスタム検索

2015年9月15日火曜日

マーガレットタウン@紅楼夢

訳本企画書 2008/10/20
Book Creator Aoyagi YoSuKe(青柳洋介)

“MARGARETTOWN” Gabrielle Zevin

【原書の情報など】
■ タイトル: MARGARETTOWN
■ 仮題: マーガレット・タウン
■ 作者: ガブリエル・ゼヴィン(Gabrielle Zevin)
■ 出版社: Hyperion
■ 総ページ数: 293ページ
■ ISBN: 140135242-1
■ 発行年: 2005年
■ 作者について:
1977年、ニューヨーク生まれ。2000年にハーバード大学を卒業し、映画の脚本を書いている。脚本のうちのいくつかにはオプションが付いて、そのうちのひとつ、”Conversation with Other Women”は最近、映画化された。ガブリエルは、この脚本で、2007年の Independent Sprit Awardにノミネートされた。以下の三篇の小説も書いている。Margrettown、Elsewhere、Memoirs of a Teenage Amnesiac.

■ 大筋
恋した女性マギーの中には、7歳から77歳までの年齢の異なる5人もの女性が同居していた。彼女を愛するということは、マーガレット・タウンに住む他の女たちも、同時に愛さなくてはならない。彼女たちと折り合いがついて、結婚したが、妻が浮気して破局を迎えた。そのとき、妻は娘のジェーンを宿していた。僕はジェーンを引き取り育てていたが、ジェーンが6歳のときに、妻は死んだ。僕も癌を患い、11歳のジェーンに宛てて、死の病床で物語を書いた。
その後、娘のジェーンも自分自身の街を作り、25歳で結婚した。


■ 書評:
本書は、the Barnes and Noble Discover Great New Writerプログラムで、BookSense Notableに選ばれた。また、This is That(Eternal Sunshine of the Spotless Mind)など、映画化のオプションも付いている。
(Publishers Weekly)
ぜヴィンのデビュー作。風変わりな恋愛物語。ひとりの驚くべき女性と、その夫、その娘との関わりあいを、会話を多用して表現し、女性の複雑さを描いている。夫のN.が、移り気で魅惑的なマギー・トゥンを、きまじめに描いている。N.とマギーのふたりは、マギーの子ども時代の家があるマーガレット・タウンへ旅立つ。その街には、マーガレットという名の女性だけが住んでいた。お茶目な少女メイ、ヒネクレ者のティーン・エイジャーのミア、性格がきつい中年のマージ、賢くて年長のオールド・マーガレット、そして、姿を現さない自殺願望を持つアーティストのグレタ。この女性たちがすべて、マギー自身であるという秘密は明かさない(女性の中には、他の女性が、必ず同居している)。マーガレット・タウンが、現実の街か、それともN.の作り話かは、謎のままである。本書の前半で、N.は必死になって、マーガレットの多面性を愛し、理解しようとする。両親が亡くなった後に、最終章で、娘のジェーンが父の遺稿を読む。サブプロットとして、N.の後見人である気楽な叔父、マーガレットの浮気、N.のかつての女友達との浮気などがある。結局、その女友達はN.の姉のベスと仲良くなり、いっしょにジェーンを育てる。この部分は、ときには冗長に感じられ、ひとつの短編として書いたほうが良いのかもしれない。だが、ストーリーは神秘的で風変わりであり、ゼヴィンの作風には遊び心があるし、作品は感動的でもある。


【レジュメ】
■ あらすじ:
目次:
1.ベッドの中のマギー
2.昔、昔
3.甘美な拷問
4.ささやき声
5.紙の中の男
6.ジェーンの街

主な登場人物:

マギー 主人公の女性
N. マギーの恋人、夫
オールド・マーガレット 77歳の老婆
マージ 52歳の中年女性
グレタ 39歳の自殺願望を持つアーティスト
ミア 17歳のヒネクレ者
メイ 7歳のお茶目な少女
ベス N.の双子の姉
ジャック N.とベスの後見人
L(リビー) N.の前の恋人
ジェーン N.とマギーの娘
ジェイク ジェーンの結婚相手

あらすじ:

1.ベッドの中のマギー
(マギーと出会って、恋に落ちるまで)
僕が初めてマギーと出会ったころ、僕は半地下のアパートに住んでいた。僕の姉のベスとマギーが、僕の部屋を定期的に訪れていた。そのころ、僕は大学で、倫理学の助手をやっていて、マギーは僕の生徒だった。マギーは25歳で卒業し、そのとき僕は31歳だった。
マギーが卒業した後の夜、マギーが、「私は呪われているの」と言った。
最初はその意味が分からなかったが、僕は、マギーに「愛している」と告白し、マギーも「愛している」と答えてくれた。僕には、恋人のLがいたが、マギーを愛してしまった。
そして、マギーは、「私はマーガレット・タウンから来たのよ」と告げた。
「ジェーン、君の母は、19XX年にマーガレット・タウンで生まれた。生まれたときは、マーガレット。少女のころは、メイ。ティーン・エイジャーの時には、ミア。大人の女性のマージ。そして、死ぬ時には、ふたたびマーガレットになった」
僕は、マギーを心の底から好きになり、恋の病に落ちた・・・
僕はマーガレット・タウンにある彼女の家に、2、3日滞在して、自分の部屋に戻る予定だった。だが、足の骨を折ってしまい、そのひと夏を彼女の家で過ごすことになってしまった。

2.昔、昔
(恋の病を患って、結婚するまで)
その家は、マルガロンと呼ばれていた。
「私は、オールド・マーガレットよ、あなたのことは知っているわ」と彼女が言った。
「マギーとはどういう関係ですか?」と僕が尋ねると、
「どのようにして、マギーと赤い糸で結ばれたの?」と彼女が聞き返した。
僕が答えに窮していると、
「もちろん、からかっているだけよ」と彼女は笑った。
オールド・マーガレットから、グレタの話が出た。グレタとは、だれなんだろうと僕は考えた。
「ここには、他に誰が住んでいるのですか?」と僕は尋ねると、
「私と、マージ、ミア、メイ、そして、今はマージが戻ってきたわ」と彼女は答えた。
つまり、その夏は、マギーを含めて、5人の女性がマーガレット・タウンにいた。
この5人の女性たちと食事などをしながら過ごすうちに、彼女たちに圧倒されている自分に気がついた。
そこで、ジャック叔父さんに迎えに来てもらおうと電話をしたが、今、タヒチにいて、三週間は迎えに行けないと、答えた。
その後、マーガレット・タウンの女性たちと過ごしていたが、ジャック叔父さんが心臓発作で死んだと、ベスから電話があった。そのため、僕は葬式に出るために飛行機でボストンへ行った。そのときには、足の具合もかなり良くなっていた。
飛行場まで、マギーに送ってもらったが、「もう一度、会えるかしら? 戻ってきたくなければ、戻ってこなくて良いのよ。葬式が私たちふたりの終止符かもしれないわ」とマギーが言った。「戻ってくるよ」と僕が答えると、「戻ってこなくても、あなたを恨みはしないわ」とマギーが言った。
ジャック叔父さんの遺産が入って、復職する必要がなくなった。マギーに真珠の婚約指輪を買って、マギーの家へ行き、プロポーズすると、マギーは申し出を受け入れた。そのとき、オールド・マーガレットはベッドの上で死んでいた。ミアとマージは書置きを残して、いなくなっていた。メイに声をかけると、不思議なことに、赤い小鳥になって飛んでいった。
僕たちは小さな結婚式を挙げた。彼女は新しいマーガレットになっていた。彼女はマギーだった。僕は彼女のことを本当には理解していなかったんだと思った。

3.甘美な痛み
(結婚の破綻)
1月、マギーはアンティークなどを扱うギャラリーを開いた。レア本と流行物を扱う隣のギャラリーの男は、マギーをメグと名づけた。メグと呼ばれるのは初めてだった。
2月、メグの店の四角い小さな看板が落ちたが、隣の男が取り付けてくれた。
3月、隣の男がメグの店に妻を連れてきた。メグは隣の男の妻よりも、自分の方が綺麗だと思った。また、隣の男よりも、自分の夫のほうが上だとも思った。夫はそれほどハンサムではないが、セクシーだ。セクシーさは、男を実際よりもハンサムに見せる。
4月、メグと隣の男はほとんど毎日、いっしょに昼食をするようになった。隣の男に見られると、メグは顔が赤くなる。「何か隠しているね?」と隣の男が言った。「いいえ、私には隠し事なんてないわ。ありのままよ」とメグは答えた。「人は望みと逆のことを言うときに、ありのままよ、と言うものさ」と男が言った。
5月、隣の男が万引きを捕まえてくれた。だが、メグが警察を呼ばずに、万引きを逃がしてあげたので、隣の男はメグに失望した。それは、男がそれまでにメグに対して示した最も強い感情だった。理由は分からないが、それはメグに喜びをもたらした。メグは隣の男に恋をしていた。
6月、メグは隣の男との恋に落ちて、恋患いをしていた。
7月、メグは31歳になった。隣の男は、マーガレット・タウン・シネマと描かれた電飾をプレゼントしてくれた。メグはとても気に入った。「のみの市で見つけたんだよ。君のことが浮んだ」と男は言った。
メグの夫は、メグが持ち帰るガラクタにウンザリしていて、メグと口論になった。メグと夫の間には隙間風が吹いていた。メグはこの特別な夜を境にして、夫に宣戦布告することにした。
8月、メグは夫と別れようかと考え始めた。だが、別れるのは、いろいろと大変だ。
9月、メグは、夫が昔の婚約者と昼食をしているのを見かけた。メグは気にしないことにした。だが、後で使うために、メグはこの様子を記憶した。
10月、メグは隣の男と寝た。
11月、高校時代の恋人で、ユダヤ教のラビに、隣の男のことを相談した。ラビは答えた。「愛とは甘美なる拷問だ」、と。
謝肉祭のころ、風邪をひいたと思っていた。妊娠していたのだが、さらに6週間、その事実に気づかなかった。
12月、ギャラリーの契約が切れる。メグは看板を降ろすことにした。ギャラリーからの帰り道、メグは自殺を考えた。大学時代のルームメイトの自殺を思い出した。
メグは、夫に宛てた手紙を書こうと思ったが、書く事がない。バスルームへ行き、カミソリを手首に当てた瞬間に、吐き気に襲われる。自殺は、他日にする。今日のところは、歯を磨き、かみそりを捨てて、夫のもとを去ることにした。

4.ささやき声
(マギーの子どもたち)
最初から、ふたりいたが、ふたりいることを知らなかった。ひとりが考えた。私はひとりなのかな? もうひとりが答えた。ひとりじゃないよ。
でも、ここは真っ暗だね? そうだね、真っ暗だ。だれかが外にいる。外って、何?ほら、心臓の音が聞こえる。私たちの心臓の音じゃないわ。もっと、大きくて、強い音。
数週間が過ぎた。声が聞こえる。音楽よ。僕には聞こえない。まだ、僕の耳はそれほどよくないみたい。ボブ・ディランかだれだか知らないが、ボブ・ディランのような気がする。
「ハロー、ベイビー」とマーガレットがささやいた。あれ、お母さんの声だよ。ひとりをジェーン、もうひとりをイアンと呼んでいる。私たちはずうっと、ここにいるのかな? 分かんない。
イアン、あなたは私ほどには大きくなっていないね。僕もそう思う、とイアンは認めた。私には、肺と親指がある。イアン、あなたにはないようだけど。僕の肺は小さいだけ。親指もそのうちに生えてくるよ。でも、僕には脚の間に、もう一本の親指がある。
8月、マーガレットはまるで太陽のように熱いと感じた。まるで太陽のよう、まるで惑星のよう、まるで宇宙のよう。自分はひとつの宇宙であり、ゴッドであると感じた。
そのときが来たのに、イアンはまだ準備ができていなかった。僕の肺はまだ十分に成長していない。僕は小さいんだよ。僕にとっては、まだ、そのときじゃないんだよ。僕たちはふたりの世界で、とても幸せだった。きっと、こういうのを幸せというんだよ。ジェーンも、そうだと思った。
マーガレット・トゥンの中で、ジェーンの幸せなひとときだった。

5.紙の中の男
(結婚生活とマギーの死、自分の死)
新婚旅行はバリ島だった。マギーはロシアの人形マトローシュカのようにいろいろな面を内に秘めている。しかし、実際には何百もの細かい面がある。いっしょに生活していくにつれて、いろいろなことが分かってくる。マギーは実際は赤毛ではなかった。染めていたのだ。本当に気を許すといろんなことが見えてくる。薄いひげ、ブラのサイズ、お尻のできものなどまで分かってくる。
結婚後、2年経ったころ、マギーはマーガレット・タウン・シネマと書いた古い電飾看板を持ってきた。私にとって大事なものなんだけど・・・ 僕がため息をつくと、彼女はそれを持ってどこかへ行った。
マーガレットが僕の元を去るまでの数ヶ月は、僕をほったらかしにした。その夜、僕はマーガレットが僕を騙していることを確信した。マーガレットは僕がLといっしょに食事をしていたのを見たはずだが、見て見ぬ振りをしていたのか?
パーティでマーガレットの恋人を一度だけ見たことがあるが、僕より老けていたし、頭は禿げていた。彼女の恋人を見た日、僕はLと寝た。マーガレットは、僕がLと寝たと聞いても、笑うだけだった。
翌日、マーガレットはスーツケースを持って、リビングルームにいた。僕はこの瞬間を想像していたので、それはデジャヴのようだった。
「何しているの」と僕が尋ねると、マーガレットは、「マーガレット・トゥンに戻ります」と答えた。
そして、「落ち着いたら、住所を知らせます」と言ったが、それっきり連絡はなかった。
ジェーン、君がこの話を読むころには、僕は死んでいるだろう。君がサマーキャンプから戻る前に死にたい。君にとって、僕は紙の中の男になる。
マーガレットがいなくなって、誠実とは何かを学んだ。ゴッドを信じている人と同じように。彼女が戻ってこなくても、彼女を愛していることは、僕には分かっていた。悲しいことに、僕たちは愛する人がいなくなって、愛するということを本当に理解する。
僕の物語の中で、もっともあり得ないことが起こった。マーガレットが戻ってきたんだよ。彼女は3歳くらいの女の子を連れていた。君だよ、ジェーン。そして、君は、名前で呼んだほうがいいか、お父さんと呼んだほうがいいか、と僕に尋ねた。
マーガレットが死ぬとき、僕がどのように感じたか。マーガレットは死ぬまでの6ヶ月間、それほど衰えるということはなかった。僕は医者に見せるように勧めたが、彼女はそんな気はないようだった。
「医者に見せてもダメだわ、私は衰えた、日々、衰えていく。それがすべてよ」。
マーガレットは僕の心を読むことができた。
「私は死ぬわ」と微笑みながら言った。そのひと月後に、彼女は死んだ。
ベスはお母さんの死について、別のことを言うかもしれないが、ジェーン、君に言っておく。お母さんは自然に亡くなったのだよ。
マーガレット・タウンがどこにあるかは、君自身で尋ねれば良い。僕がまだ若かったころ、それは、ニューヨークの北、マルボロとニューバーグの間付近にあったと思う。マーガレット・トゥンの地図が必要かもしれないので、今書いている。不完全な地図だが、おおまかな方向を示しているはずだ。
ジェーン、愛にはいろんな面がある。でも、これだけは伝えたい。
ドライブしているが、それがいつの日かを知ることはできない。方向を間違えるかもしれない。だが、最後には、思いがけなく、その人がそこにいる。
ジェーン、その人が君にとってのひとつの街だ。彼の中にいろんなものを見出す。そこが、君が知らなかった家になる。そこには、愛や悲しみや、そして他にも、いろいろなものがある。太陽の下にあらゆるものがある。何があろうとも、ジェーン、君の中にはジェーンの街がある。
ジェーン、僕は死ぬ。僕は46歳だが、死ぬには若すぎると思う。これは悲劇かもしれない。だが、
ジェーン、僕は君の中に無限を見つけた、君の中で、僕は生まれ変わった。
追伸
少し長くなった。もうじき、僕はマーガレット・タウンに帰るだろう。着いたら、はがきを出す。はがきが届かない場合もあるので、ここに書いておく。
ジェーンへ
母の名前は、マーガレット・メアリー・トゥンです。
19xx年に、NYのアルバニーで生まれた。僕たちは大学で出会って、まもなくして結婚した。
・・・
・・・
愛する、ジェーンへ
マーガレット・タウンの目印は
「マーガレット・タウンへ。ようこそ。住人2名」

6.ジェーンの街
(ジェーンが生まれてから結婚するまで)
ジェーンは産声を上げながら生まれて、半年間も泣き続けた。ジェーンほど泣く赤ん坊はめったにいない。半年たつと、泣くのをぴたりと止めた。
6歳のとき、母親が死んだ。この年頃では、死の意味が理解できないのが普通だが、ジェーンは完全に理解していた。
8歳のとき、飼い猫のガトウに母の魂が乗り移っていると思った。だが、ジェーンは猫アレルギーになってしまった。
11歳のとき、父が死んで、父の姉であるベス伯母さんに引き取られた。ベス伯母さんは、アリゾナのフェニックスでパートナーの女性リビーといっしょに住んでいた。ジェーンは「伯母さんたちはレズビアンなの?」と尋ねるようなストレートな子だった。
13歳のとき、家族についてのエッセイを書いた。記憶が薄れている箇所などは、作り話を書いた。想像力が豊だったが、作文の成績はいまひとつだった。
15歳のとき、処女を失ったが、たいした事ではないと感じた。
16歳のとき、二度目の経験をした。二度目のときは最初とはまったく違っていたので、このときをロスト・バージンに決めた。
18歳のとき、大学に入学した。このころは、寝てばかりいた。ただただ眠かった。大学はそれまでの人生でもっとも寝心地が良かった。
20歳のとき、大学の文芸誌の短編小説コンテストに応募した。ジェーンの作品は入賞すらしなかった。レイモンド・カーヴァーの文体を真似てみたのだが、内容が平凡だった。父親がジェーンに宛てて書いた物語を、ベス伯母さんが送ってきた。
21歳のとき、マーガレット・タウン・シネマと書かれた看板を修理することにした。寮のドアに飾ろうと思った。ジェイクが修理してくれた。
22歳のとき髪を切ることにした。髪を切っても、ジェイクの態度が変らなければ、ジェイクは本当に自分を愛しているはずだと、ジェイクをテストしてみた。ジェイクは新しい髪型を見てキスの雨を降らし、ふたりはセックスをした。ジェーンは、ジェイクが最良とは思わなかったが、パートナーにすることに決めた。
25歳のとき、ジェイクと結婚した。いつか、ジェイクを嫌いになるかもしれないと言うと、ジェイクは今日がその日じゃないさと答えた。僕はそうならないことを望むよと言った。ジェーンは笑った。その日が来たら、ジェーンは言うべきことを知っていた。

■ 所感
遊び心も加味しながら、男性と複雑な女性との恋愛の様子、両親、娘、周りのひとなどの人間関係も、上手に描き出している。ストーリーは風変わりで謎めいているが、文体は平易で、会話を多く使っている。結婚を望んでいる若い女性や、複雑な女性心理に戸惑っている男性などが、主な読者だと考えられる。
ひとことで言うと、女の子の考えそうな世界。
「ふたりのため、世界はあるの」
ハードカバーの表紙にもあるが、赤い糸でも、青い鳥でもなくて、赤い小鳥なのかな?
赤い小鳥がふたりをマーガレット・タウンに導いて、恋が成就すると、赤い小鳥はどこかへ飛んでいく?
赤い小鳥とは?
女の子が小さなときに創り上げた恋と愛のひとつの幻想の世界の象徴ではないのかな? そして、男はその幻想の世界で道に迷ってしまう・・・
この小説では、幻想の世界に、おばあちゃん、お母さん、自身、思春期の自身、赤い小鳥、そして、それらがない混ぜになって、思いが叶えられない自殺願望のアーティスト(もうひとりの自分)がいる・・・
赤い小鳥の幻想を実現できなかった女性は多いのでは?
そして、マーガレットはそのような女性のひとりなのかもしれない? だが、これが現実の世界なんだろう・・・ 幻想の恋と愛と現実の世界の狭間を漂う女と男たち、、、
そして、女たちは、赤い小鳥の幻想の世界を叶えてくれそうな男を、私の王子さまと呼ぶのだろう。
My Prince Will Come.
というジャズの曲があるが・・・

[試訳]
(2章の一部、原著P45~P52)
2章 昔、昔
1.
その家がマルガロンと呼ばれていることをだれから聞いたかは覚えていない。もしかしたら、だれも言わなかったのかもしれない。おそらく、どこかで見たのだろう。家の玄関かどこかに表札が付いていたかも思い出せない。マーガレット・タウンを訪れたころの様子ははっきりしていない。
マルガロンへ連れて来られたことも思い出さない。(そこへ来ているのに、どのようにして来たかを思い出さないのは不思議な気がする)。他のいろいろな記憶を繋ぎ合わせて、着いたころのことを思い出すと、以下のようだった。
湖をまたぐ橋を越えて、崖の脇に沿って車を運転している。その橋を越えると、二本の舗装されていない道に分れる。だが、二本の道は最後には同じ地点に至る。そこには源泉がある。マルガロンは、その源泉を越えた地点の二つの丘の間にある。
マルガロンは、光の具合で、ベージュに見えたり、黄色に見えたりする。家は三階建てだが、東のほうから見ると、一階建てに見える。建て増しのため、西側は見栄えが悪い。その付近の他の家と違って、スペイン・タイルでできたマルガロンの赤い屋根は、その場所には不釣合いに見える。家の前の庭はまったく平らというわけではないが、なだらかで広い。白い小道が玄関へ続いている。その小道は、前方から見ると分からないが、後方から見ると二本に分れている。(そのうちに、プールを作ろうと計画していた)。
マルガロン家の正式な招待ではなかったため、初めのうちは彼女に任せきりだった。十分に様子を把握しなかったので、いつも目新しいものが目に付いた。湖はあったかな? 前の庭にツリー・ハウスはあったかな? 洗面所は三階だったかな?
マルガロンの家はなじみやすく思えたし、たぶん、女性たちも同じような感じだった。
事故を起こした後、一週間かそこらして気がついたときには、僕はマルガロンの一階にいた。そこは客用の寝室だと思っていたが、後になって、そこはマージの部屋だと分かった。だが、マージはその部屋を気持ちよく貸していたわけではなかった。
足は柱に吊り下げられていて、ベッドの脇に年老いた女性が座っていた。
その女性はかなり年配で、僕にとって女性だと思える年齢を超えていた。百歳近くではないかと思った。目は淡い茶色で、本物の歯は黄色で、入れ歯は真っ白だった。爪は長くて、先を鋭く尖らせていた。とても痩せていて、黒っぽいツイードのスーツを着ていた。そして、ストッキングと黒い矯正用の靴を履いていた。清潔に見えたが、老齢によるカビ
臭さが身の回りに漂っていた。歳にふさわしくないエンジ色の口紅をつけていた。その口紅のため、彼女の口はいくぶんか不釣合いに見え、不自然な感じで若く見えた。
「私はオールド・マーガレットよ」と彼女は言った。
「僕は、、、」
僕がしゃべろうとするのをさえぎって、
「あなたのことは知っているわ」と彼女は言った。
「マギーと関係があるんですか?」と僕が尋ねると、
「関係があるわ」と彼女は笑った。
彼女の口元を見ながら、
「あなたとマギーの関係のことを言っているのですが」と僕が言うと、
「あなたは、また、ここへ来るの? どういうつもりで、マギーの指に糸を巻きつけたの?」と彼女が尋ねた。
「つまり・・・、マギーはそのことをあなたに話したのですか?」と僕は切り出した。
「もちろん、からかっているだけよ」と彼女は笑ったが、僕はその言葉に少しだけ圧力を感じた。
「たばこを吸ってもいい?」
僕がうなずくと、
「このことは、だれにも言わないでね」と彼女は言った。
オールド・マーガレットは窓を開けて、たばこに火をつけた。
「グレタはとても古いタイプなので、あなたにたばこの火をつけさせるはずよ。でも、私はそんなには古いタイプではないわ。もちろん、あなたが火をつけてくれるなら、それはそれでかまわないけど。そのほうが紳士的よ。でも、あなたはそのようには見えないわ。私たちには妥協が必要なようね」
グレタとは、一体だれだろうか、マギーも歳を取るとこんな様子になるのかな? と僕が考えていると、
「いいえ、マギーはたばこを吸わないわ。私は十三歳の時からたばこを吸い始めた。とても早かったのよ。そのころは、癌や肺気腫やその他の馬鹿げたことも、私たちは気にかけなかった。私はまだ七十七歳よ。でも、私はもっと老けていると、あなたが考えていると、私には分かるわ。私たちは年齢を当てるのが得意なだけよ。他のだれであっても、老けて見えたり、若く見えたりするわ。ある意味で、ちょうど私たちの年齢がもっとも人間らしいのかもしれないわ」。
僕が声を出して話したのかな? と思っていると、
「私は人の心を読むことができるのよ」と彼女が答えた。
「その変化が起きた後から、私にはその能力がついた。さらには、人の感情を読む能力もついたのよ。実際は、これらは同じ能力なのかもしれないけれど」。
彼女は空気の匂いをかぎながら、
「あなたは怪我をしている匂いがするわ。でも、たいした怪我ではないのは明らかよ。脚を怪我しているの?」と彼女が言った。
「それほどひどくはないです。不快ではありますが」
「鎮痛剤をたくさん飲ませたのでしょうね。そろそろ痛みが出てくるわ。私は人工股関節に置きかえる手術をしたので、その辺の事情は分かっているわ」と脚を吊り下げている柱を叩いた。
「あなたは、少なくとも二週間は寝ていなくては駄目でしょうね。マギーが言っていましたよ。あなたが退屈しないように、私たち独身女性が楽しませてあげられば良いなと思っていますよ」
「ところで、あなたはだれですか?」
「オールド・マーガレットよ」
理解するのがなんと遅いのだろうと言いたげに、彼女は繰り返した。
「マギーがあなたの名前をつけたのですか?」
「マギーが私の名前をつけた、ですって?」
「はい、僕はそう思いました」
「あなたは、マギーのおばあさんですか?」
「私が若すぎて、マギーのおばあさんには見えないのかな?」
「いいえ、そうではありません」と僕はゆっくり返事した。
オールド・マーガレットはため息をつきながら、
「私がマギーのおばあさんだって。なんてひどいんでしょう」と言った。
オールド・マーガレットは少しボケているのかな。
「私はボケてはいません。そんなことを言うなんて、無礼すぎるわ」と彼女は言った。
「そうは言っていません。思っただけです」と僕は抗議した。
「その違いを区別できないときもあるわ。この件については、互いに譲歩が必要なようね。あなたが、実際にそう言ったのなら、それは私をひどく傷つける。でも、そう思っただけなら、痛みは少ないわ」
そのふたつの違いが僕にはよく分からなかった。
「つまり、あなたが声を出して言ったなら、あなたは私を傷つけたでしょう。私たちは自分が思っていることを、それほどうまくは扱えないのよ。例えば、私がこの部屋に初めて入ってきたとき、私がかび臭いと、あなたが考えたことを私が知ったら、それも私の気分を害したかもしれないわ。でも、気分を害しながら、生涯をすごすような人がいますかね?」
「ごめんなさい」
「ところで、モスボール(防虫剤)のことなんですけど。私は六十五歳を過ぎてから、それまでには経験したことがなかったモス・プロブレム(虫の問題)が悩みのタネになったわ。この問題について、あなたはどう思う?」
「僕には分かりません」
「若い人には、何故モス・プロブレムがないのでしょうね? 老人にはモスはベッドの友なんだけど、そうは思わない?」と彼女が尋ねた。
「すみませんが、少し疲れました」と僕は答えた。
「そうですか、分かりました。気がきかなかったわね」と彼女は言って、たばこを取り出して、足を引きずりながら、ドアの方へ歩いていった。彼女には人工股関節手術の後遺症が残っていて、明らかに足を引きずっていた。
「ここにはだれが住んでいるのですか?」と僕は尋ねた。
「私、マージ、ミア、メイ、そして今はマギーが戻っているわ。おそらく、メイはそれほどみかけないでしょうね。彼女は外が好きだから。かつては、もうひとりいたのですが、行ってしまった。決して戻らないと思うわ。行ってしまった」
「ここにいる人たちは、マギーの」僕は思い出そうとした。「おばさんたちですか?」
「そうよ」と彼女は言った。
「あるいは、そのようなものだわ。私のおしゃべりで、疲れさせてごめんなさいね。少女のころは、私はとても静かだと見られていたのよ。とても不思議なんだけど、年老いた今は、とてもおしゃべりになったわ。」
彼女は優しくドアを閉めた。実際、ドアを閉めるのに、十分くらいかかったような気がした。ジェーン、もしかしたら、ドアをパタンと閉めたほうが、良かったのかもしれない。




マーガレットタウン

                            ガブリエル・ゼヴィン 著
                            青柳洋介 訳

マミーとダディーへ


 ベッドの中のマギー

 昔、昔

 甘美な拷問

 ささやき声

 紙の中の男

 ジェーンの街



主な登場人物:
マギー 主人公の女性
N マギーの恋人、夫

オールド・マーガレット 七十七歳の老婆
マージ 五十二歳の中年女性
グレタ 三十九歳の自殺願望を持つアーティスト
ミア 十七歳のヒネクレ者
メイ 七歳のお茶目な少女

ベス Nの双子の姉
ジャック Nとベスの後見人
L(リビー) Nの前の恋人

ジェーン Nとマギーの娘
ジェイク ジェーンの結婚相手





ベッドの中のマギー


 マーガレットと初めて出会ったとき、僕はアパートの地下室に住んでいた。家賃はリーズナブルだった。他の物件と比べて、ロケーションは良かった。理想的とまではいかないが、地下からの眺めは面白かった。靴、ふくらはぎの一部、子犬、よちよち歩きの子供の姿が三分の一くらい見えた。僕は訪問者を靴で見分けられるようになった。その頃の常連客は、スウェードの安物のサンダルをはいた姉のベス、それに、気分で履物を変えるマーガレットのふたりだった。
 僕は奇妙な地下室生活を送っていた。昼と夜の違いは重要ではなかった。ご立派な地上では見られない虫やゴキブリなどが僕の相棒だった。雪が解けると、地下室は水であふれた。ゴミの収集日は窓を閉めていなければならなかった。アパートには暖房設備がなかった。年の平均室温は八度くらいだった。上階のテナントの人でさえ、僕を変な目で見ていた。地下室に住んでいる男だというレッテルを貼られていたようだ。
 僕が持っていた家具は、大学院の学生だったころに、大学から盗んできたものだけだった。ベッドではなくて、長めのマットレスをふたつ持っていた。ひとりで寝るときは、マットレスを重ねて使った。お客が来たときは、くっつけて並べた。前年のお客はマーガレット・メアリー・トゥンだけだった。そのころ、彼女はマギーと呼ばれていた。
 努力したにもかかわらず、マットレスはばらばらになった。夜の間に、必ず、ミステリアスなすき間が生じた。五十年代のテレビ番組のように、結局はふたつのマットレスの上で、漂流することになった。ある夜、マギーが腹ばいになって僕のマットレスに侵入してきた。寒いわ、離れたくないわと彼女は言った。
 大学を卒業した後のある夜(彼女は二十五歳だった、大半の学生よりも年上だった)、僕が目を覚ますと、マギーがマットレスのすき間で、胸の間に膝を抱えて、すすり泣いていた。マギーの顔は、長い直毛の赤毛で覆われていた。僕は具合が悪いのと尋ねたが、マギーは長い間黙っていた。そして、最後に
「わたしは呪われているの」と言った。
「そんなことないよ」と僕は言った。そして、考え直して
「呪われてるって、どういう意味だい?」
「わたし自身のことなの」とマギーは言った。
「どういうことなの、マギー?」
「わたし自身のことなの。それを知れば、あなたはわたしを嫌いになるわ。わたしには分かっているわ」
 僕はマギーを嫌いになることはないと確信していた。実際、彼女を愛していた。
「わたしはあなたが考えているような女ではないわ。わたしはわたしなんだけど、違う面もあるのよ。あなたが考えているわたし・・・わたしは普通の女とは違うわ」
「分かってるよ、マギー」と僕は言った。
「マギー」
そのとき、僕は三十一歳だった。マギーのジレンマはまさに二十代前半の典型であるように思えた。
「マギー、誰でも経験する通過儀礼だよ」
マギーは髪の毛の下から僕をじっと見て、頭を振った。そのまなざしは僕を落胆させた。
「明日からは変わるわ・・・悪くなるのよ・・・数カ月はとても素敵だったわ。わたしはこの地下室が好きだった。わたしはこの地下室にいるふたりを愛したのよ」
マギーは憐れむように僕の額にキスをした。マギーは初めて隣のソファに戻って寝た。
その夜、マギーは穏やかに眠った。だが、僕は目が覚めて眠れなかった。横になったまま、マギーのことを考えていた。おそらく、マギーの駆け引きだろうと思った。
僕は昨年の十二月、マギーの世界について考えていた。そのころ、僕たちは初めていっしょに寝た。また、いっしょに寝ることがあるか僕には確信を持てなかった。マギーは僕を見て笑った。そして、僕の名前を呼んだ。マギーは僕が先に見るのを待たなかった。
「やっぱり、このブーツを履くのはうれしいわ」とマギーは言った。
「出かけるときは、冬用の木靴を履いていたの。でも、この間からは、このブーツに変えることにしたの」 
僕は彼女のブーツを見た。ブーツは薄手で、つま先とかかとが尖っていた。大して暖房効果がないように見えた。
「お気に入りのブーツなの?」と僕は尋ねた。
「木靴と比べればね・・・」とマギーは笑った。
「あなたはお気に入りじゃないみたいね?」と言って、また笑った。
「僕はそう感じた。君は取り巻きの連中か前の男のところに行きそうだね・・・」
「もしそうなら、その靴を履いたままなの?」
マギーはうなずいて、ゆったりと笑った。
「そうよ・・・」と言った。
余裕綽々の笑顔。ジーザス・クライスト。


+§+


他の日は、マギーはいびきをかいた。また、他の日は、僕はマギーのことを思って、愛しているよと言った。
「愛しているよ」と僕は言った。僕がそう言うと、見張っているかのように、車がクラクションを鳴らした。マギーが僕の言葉を聞いているか確信が持てなかった。「愛しているよ」と自分に繰り返し言い聞かせなければならなかった。
マギーはまごついているか、あるいは、喜んでいるかのように見えた(マギーの顔は、いつも、何となく曖昧で、感情が同じような表情で現れる)。しかし、何も言わかなった。しばらくすると、彼女は通りへ出た。
六時間ばかりして、電話が鳴った。
「愛しているわ」と言って、電話を切った。
このすれ違いは、多少なりとも意味があったのか? もしも、時間差がないとすれば、彼女は本能で愛してるわと言っていたと思いたいが。良かれ、悪かれ・・・ とにかく、あなたが男を釣れば、男もあなたを釣ろうとする。その時間差は本能ではないと僕には分かっていた。マギーは僕の愛の宣告を受け入れて、六時間後に返事をしたほうが良いと思っていたのだろう。時を置いて、イエスと答えた。結局は、彼女が本気で言ったと信じる理由となる。
僕はマギーに愛してると言った時、ある感情を表現した。その当時には、そのような感情をあまり持っていなかった。僕は何らかのもの以上の返事を期待していたと思う。あるいは、そう言いたかっただけなのかもしれない。人は楽観的なウソをつくこともあれば、必ずしも本当でないことを言うこともある。今回はそのようなケースだった。僕はその時間差のために彼女を愛した。

ベッドルームの窓から見える歩道は明るいグレーに見えた。遅かれ早かれ、だんだんと明るいグレーになった。それは、人の見方にもよるのだが・・・ 今夜は眠れないと思った。眠らずに、ベッドの中のマギーのことを考えた。マギーと初めて出会ったころ、マギーがどのように寝ていたかを考えた。
マギーに出会う前から、トゥン・マーガレット・エムという名前は知っていた。それは、無意味な名前の羅列の中にあった。マギーは必修科目の哲学コースの生徒だった。僕はそのティーチング・アシスタントをしていた。学期の半分は終わったが、マギーはディスカッション・クラスを欠席した。このクラスを取るのに少なからずとも一度は悩んでいたのだが。僕は彼女のためにメッセージを残し、手紙も書いた。ティーチング・アシスタントがやるべきことは進んでやった。その当時、大学は、「パーソナル・アテンション」を推進していた。巨大な組織、あるいは、ばかげたものの中にある教養学部の本当に小さなカレッジだった。パーソナル・アテンションが意味するところは、僕がトゥン・マーガレット・エムを落第させる前に、少なくとも一度は会うことだった。
 マギーはコンクリート・ブロック造りの寮に住んでいた。そこは、既婚者、交換留学生、移籍者、年長者などのはみ出し者を収容する場所として知られていた。各々のカレッジはそのような寮を所有していた。そのような評判を心に抱いて、エレベーターに乗って、彼女の部屋へ行った。
 彼女の部屋があるフロアには、外国人だと思われる生徒が数名たむろしていた。レオタードを着た女生徒が赤いふわふわした食べ物を差し出した。僕は丁寧に断って、マーガレット・トゥンの部屋がどこにあるか尋ねた。彼女はため息をつきながら、廊下を指差した。
 マギーの名前はドアの白板に紫色のインクで書いてあった。マーガレットのエムの文字、上半分と、トゥンのイーの文字が消えていた。手書きの文字は旧式で正確だった。教室がひとつだけの校舎でペン習字で訓練したかのような文字だった(おそらく、そんなとこだろう)。僕は、マーガレットは大学にあふれている軽薄な女の子の類いだろうと覚悟した。ドアをノックすると、ぱっと開いたので驚いた。部屋は幅が三メーター、奥行が二メーター程度で、三方はコンクリート・ブロックで囲まれており、監獄の独房のようだった。縦長の標準品のツインベッドしか置くスペースがなかった。七つばかりのマットがベッドの縁に積み上げられていた。そのマットの一番上にいたのがマーガレット・トゥンだった。赤くて長い髪の毛はもつれて少しばかりもじゃもじゃしていた。眼の下には黒いくまがあって、今にも、泣き出しそうか、笑いだしそうかに見えた。おそらく、疲れ切っていたのだろう。(ジェーン、マットレス七つの上に乗っている人は、かなり高いところにいると思うだろ。大学のマットレスはとても薄っぺらなんだよ。マットレス七つ分で、だいたい通常の二つ分だよ)
「とても疲れてるの。何年も寝ていないように感じるわ」と彼女は言った。
「マーガレット、僕はティーチング・アシスタントの・・・」
「あなたは疲れているように見える」とマーガレットが遮った。
彼女の言いぶりに、僕はほとんど泣きそうだった。
「うん、僕は疲れている」
「良ければ、ここで寝たら」と彼女は申し出た。
「君のベッドで?」僕は信じられなかった。
「そうよ」
そして、僕は寝た。このような申し出はそうあるものではない。
翌日は金曜日だったが、僕はその午後に目覚めた。彼女は僕を見て、
「よく寝むれた?」と聞いた。
「うん、このマットレスは何のためにあるの?」僕はあくびをしながら答えた。
「私が眠るのを助けてくれるのよ。でも、それほど効果はないわ」とベッドから出ながら答えた。
「歯を磨くわ。寝る前に磨きたかったんだけど。あなたを起こしたくなかったわ」
僕はマーガレットのベッドで寝た。よく眠れて幸せだった。僕はベッドの中央へ移動した。そのとき、小さなしこりがあるのを感じた。小さいが明らかにしこりである。僕はベッドから降りて、一番上のマットレスを持ちあげた。何もなかった。二枚目、三枚目、四枚目、五枚目、六枚目。なし、なし、なし、なし、何もなかった。そして、最後の七枚目のマットレスを持ちあげた。それは、ベッドの枠の脇にあった。ペンがあった。古びた黒のビック。ペンの端を少しばかりかじった跡があった。一ドルで十本買える類いのものだった。
彼女が部屋に戻ってきて、頭を傾げた。
僕はその邪魔物を彼女に見せた。
「君はペンの上に寝ていたよ」
「ペン」彼女は笑いながら言った。
「まあ」彼女は僕からペンを取り上げて、ずいぶん長い間ペンを見ていた。彼女は僕にキスをしてお礼を言った。そして、また、キスをした。彼女はうれしそうにベッドに戻って、僕を招いた。ジェーン、僕は招きに応じた。
「マーガレット」と言うと
「私はマギーと呼ばれてるの」と彼女は言った。
「マーガレットと呼ばれると、誰のことを呼んでいるのか分からないわ」彼女はゆっくりと眠たげに笑って、横向きになった。
「ペンは、まだ書けるかしら」
「おそらくダメだよ、かなり古びている」
「でも、書けると思うわ」彼女はこだわった。
僕はベッドから降りて、一枚のルーズリーフを見つけた。インクを出すために、おおざっぱな試し書きを始めた。
「ダメみたい」おおよそ一分後に言った。何度も繰り返したので、紙が破れ始めた。
「続けて、お願い」と彼女は言った。
なので、僕は続けた。ハートのマークを書いた。アルファベットを書いた。そして、自分の名前を書いた。そのとき、インクが出始めた。
マーガレットは笑った。「ハッピーよ」と彼女は言った。
「どうしてこんなにハッピーか分からないわ。でも、ハッピーなの」
彼女は生まれて初めて見たかのように、そのペンを見た。
「それは、あなたの名前なの?」僕の筆跡をチェックしながら、彼女は聞いた。
「そうだよ」と僕は答えた。
「良い名前ね。私は好きだわ。堅実な名前だわ」
「ありがとう」
「このペンは良い印に見えるわ。でしょ?」
僕は同意した。
彼女はふたたび僕の名前を呼んで頷いた。
「あなたは、倫理学のティーチング・アシスタント、でしょ?」
「そうだよ」僕は仕方なく認めた。
「実はティーチング・アシスタントのヘッドだよ」
「本当? うそでしょ?」
「本当だよ」僕は言った。
「本当なの」彼女は繰り返した。
「ベッドに戻らない?」
僕は寝たが、頭は冴えていた。彼女の振る舞いは、僕がこの特別な場所を最初に発見した男であると思わせるものだった。



歩道は黄色っぽい色をしていた。これは、僕が元気に目覚めたことを意味する。僕はマギーを見た。赤い髪の毛は広がっていた。目はむくんでいた。いびきがひどかった。うっすらと髭が生えていた。突然にも、僕はこの女と一生を共にしたいと思った。呪われていようがいまいが。何も起きなかった。彼女は何も言わなかった。彼女は何もしなかった。何も変わらなかった。午前五時だった。僕は目覚めていた。
 マギーは一週間前に寮を出た。彼女が持ってきた箱がベッドルームの壁際に並んでいた(彼女は幅三メーター、奥行二メーターの部屋に驚くべき量の荷物を詰め込んでいた)。箱の上にはマーガレット・トゥンなにがしと書いたラベルが貼ってあった。大きな麻ひもの玉とナイフが荷物の中にあった。僕はベッドから出て、十センチの長さで麻ひもを切った。そして、彼女のベッドへ腹ばいで入った。僕の彼女はシーツの上に裸で寝ていた。
 片足は曲げて、もう片足は伸ばしていた。両足は同じ地点に至る。つまり、小麦のような黄土色の草で覆われた小さな丘、秘密の井戸(その頃は、その井戸の場所を僕だけが知っていると思いたかった)。そして、広い腹部。なめらかで、大きくて、軟らかくて、平らではない。腹部を超えるとふたつの小さな丘、愛おしくて仕方ない。その二つの丘の間に首がある。狭くて、白い小道だ。目は閉じていた。そして、目は光の加減で、茶色に見えたり、金色に見えたりすることを知っていた。彼女はリンゴのような香りがした。頬はポーチのライトのように輝いていた。髪はスペインの屋根瓦のように赤かった。この土地すべてが僕のものだ。僕は麻糸で、彼女の指を結ぼうと思った。
「何してんの?」彼女が物憂げに言った。
「忘れちゃった」
「何を忘れたの?」彼女は言った
「覚えておきたいこと」
「それじゃ、自分の指をそのひもで結んだら、どう?」
「もう一度寝よう。僕たちには長い明日がある」
彼女は腹を叩いて、すぐに、横向きになって、僕にほほ笑んだ。
「あなたの場所を開けたわ。よければ、どう、あなたの場所よ」彼女は言った。






マギーが寝ている間に、僕はベッドから這い出して、ジェイクスおじさんの青いオープンカーを取りに行った。ジェイクスおじさんは何年も前に亡くなっていて、その車を譲り受けていたが、僕はその車はジェイクスおじさんの持ち物だと思っていた。ジェイクスおじさんは、生涯、オープンカーを運転していたが、オープンカーの幌はいつも閉じていた。幌を閉じている理由を聞かれると、ジェイクスおじさんはベルギー訛りで、漫画のように、「雨が降るかもしれない。僕の上に降るなんて、とんでもないことさ」と答えた。そして、おじさんは白痴のように笑った。同じような反応を千回もしただろうか? フランスの王(ルイ十三世か、十五世)が「アプレ・モイ・レ・デルージュ(あとは野となれ山となれ)」と述べたと僕が十六歳のころの歴史の教科書に出ていた。おじさんのその笑い声は、フランスの王の言葉のように聞こえた。実際、ヨーロッパの歴史に関する限り、ジェイクスおじさんの顔はフランスの専制君主に見えた。ルイ十六世か十七世が春の終わりころにくびを刎ねられたのは、とくに満足のいくファンタジーである。
 両親の死後、姉のベスと僕は行く場所がなかった。母の兄弟のジェイクスおじさんが僕たち二人を引き取った。僕はときどきはおじさんに感謝すべきと思っている。
 その車を取りに行くことはベスと朝食を取ることを意味した(その車は彼女のアパートの駐車場に停めてあった)。その当時、ベスはそのことをとても気にしていた。
昔、昔
Ⅰ.

その家がマルガロンと呼ばれていることをだれから聞いたかは覚えていない。もしかしたら、だれも言わなかったのかもしれない。おそらく、どこかで見たのだろう。家の玄関かどこかに表札が付いていたかも思い出せない。マーガレット・タウンを訪れたころの様子ははっきりしていない。
 マルガロンへ連れて来られたことも思い出さない。(そこへ来ているのに、どのようにして来たかを思い出さないのは不思議な気がする)。他のいろいろな記憶を繋ぎ合わせて、着いたころのことを思い出すと、以下のようだった。

 湖をまたぐ橋を越えて、崖の脇に沿って車を運転している。その橋を越えると、二本の舗装されていない道に分れる。だが、二本の道は最後には同じ地点に至る。そこには源泉がある。マルガロンは、その源泉を越えた地点の二つの丘の間にある。
 マルガロンは、光の具合で、ベージュに見えたり、黄色に見えたりする。家は三階建てだが、東のほうから見ると、一階建てに見える。建て増しのため、西側は見栄えが悪い。その付近の他の家と違って、スペイン・タイルでできたマルガロンの赤い屋根は、その場所には不釣合いに見える。家の前の庭はまったく平らというわけではないが、なだらかで広い。白い小道が玄関へ続いている。その小道は、前方から見ると分からないが、後方から見ると二本に分れている。(そのうちに、プールを作ろうと計画していた)。

マルガロン家の正式な招待ではなかったため、初めのうちは彼女に任せきりだった。十分に様子を把握しなかったので、いつも目新しいものが目に付いた。湖はあったかな? 前の庭にツリー・ハウスはあったかな? 洗面所は三階だったかな?
 マルガロンの家はなじみやすく思えたし、たぶん、女性たちも同じような感じだった。


事故を起こした後、一週間かそこらして気がついたときには、僕はマルガロンの一階にいた。そこは客用の寝室だと思っていたが、後になって、そこはマージの部屋だと分かった。だが、マージはその部屋を気持ちよく貸していたわけではなかった。
 足は柱に吊り下げられていて、ベッドの脇に年老いた女性が座っていた。
 その女性はかなり年配で、僕にとって女性だと思える年齢を超えていた。百歳近くではないかと思った。目は淡い茶色で、本物の歯は黄色で、入れ歯は真っ白だった。爪は長くて、先を鋭く尖らせていた。とても痩せていて、黒っぽいツイードのスーツを着ていた。そして、ストッキングと黒い矯正用の靴を履いていた。清潔に見えたが、老齢によるカビ臭さが身の回りに漂っていた。歳にふさわしくないエンジ色の口紅をつけていた。その口紅のため、彼女の口はいくぶんか不釣合いに見え、不自然な感じで若く見えた。
「私はオールド・マーガレットよ」と彼女は言った。
「僕は、、、」
僕がしゃべろうとするのをさえぎって、
「あなたのことは知っているわ」と彼女は言った。
「マギーと関係があるんですか?」と僕が尋ねると、
「関係があるわ」と彼女は笑った。
彼女の口元を見ながら、
「あなたとマギーの関係のことを言っているのですが」と僕が言うと、
「あなたは、また、ここへ来るの? どういうつもりで、マギーの指に糸を巻きつけたの?」と彼女が尋ねた。
「つまり・・・、マギーはそのことをあなたに話したのですか?」と僕は切り出した。
「もちろん、からかっているだけよ」と彼女は笑ったが、僕はその言葉に少しだけ圧力を感じた。
「たばこを吸ってもいい?」
僕がうなずくと、
「このことは、だれにも言わないでね」と彼女は言った。
オールド・マーガレットは窓を開けて、たばこに火をつけた。
「グレタはとても古いタイプなので、あなたにたばこの火をつけさせるはずよ。でも、私はそんなには古いタイプではないわ。もちろん、あなたが火をつけてくれるなら、それはそれでかまわないけど。そのほうが紳士的よ。でも、あなたはそのようには見えないわ。私たちには妥協が必要なようね」
グレタとは、一体だれだろうか、マギーも歳を取るとこんな様子になるのかな? と僕が考えていると、
「いいえ、マギーはたばこを吸わないわ。私は十三歳の時からたばこを吸い始めた。とても早かったのよ。そのころは、癌や肺気腫やその他の馬鹿げたことも、私たちは気にかけなかった。私はまだ七十七歳よ。でも、私はもっと老けていると、あなたが考えていると、私には分かるわ。私たちは年齢を当てるのが得意なだけよ。他のだれであっても、老けて見えたり、若く見えたりするわ。ある意味で、ちょうど私たちの年齢がもっとも人間らしいのかもしれないわ」。
僕が声を出して話したのかな? と思っていると、
「私は人の心を読むことができるのよ」と彼女が答えた。
「その変化が起きた後から、私にはその能力がついた。さらには、人の感情を読む能力もついたのよ。実際は、これらは同じ能力なのかもしれないけれど」。
彼女は空気の匂いをかぎながら、
「あなたは怪我をしている匂いがするわ。でも、たいした怪我ではないのは明らかよ。脚を怪我しているの?」と彼女が言った。
「それほどひどくはないです。不快ではありますが」
「鎮痛剤をたくさん飲ませたのでしょうね。そろそろ痛みが出てくるわ。私は人工股関節に置きかえる手術をしたので、その辺の事情は分かっているわ」と脚を吊り下げている柱を叩いた。
「あなたは、少なくとも二週間は寝ていなくては駄目でしょうね。マギーが言っていましたよ。あなたが退屈しないように、私たち独身女性が楽しませてあげられば良いなと思っていますよ」
「ところで、あなたはだれですか?」
「オールド・マーガレットよ」
理解するのがなんと遅いのだろうと言いたげに、彼女は繰り返した。
「マギーがあなたの名前をつけたのですか?」
「マギーが私の名前をつけた、ですって?」
「はい、僕はそう思いました」
「あなたは、マギーのおばあさんですか?」
「私が若すぎて、マギーのおばあさんには見えないのかな?」
「いいえ、そうではありません」と僕はゆっくり返事した。
オールド・マーガレットはため息をつきながら、
「私がマギーのおばあさんだって。なんてひどいんでしょう」と言った。
オールド・マーガレットは少しボケているのかな。
「私はボケてはいません。そんなことを言うなんて、無礼すぎるわ」と彼女は言った。
「そうは言っていません。思っただけです」と僕は抗議した。
「その違いを区別できないときもあるわ。この件については、互いに譲歩が必要なようね。あなたが、実際にそう言ったのなら、それは私をひどく傷つける。でも、そう思っただけなら、痛みは少ないわ」
そのふたつの違いが僕にはよく分からなかった。
「つまり、あなたが声を出して言ったなら、あなたは私を傷つけたでしょう。私たちは自分が思っていることを、それほどうまくは扱えないのよ。例えば、私がこの部屋に初めて入ってきたとき、私がかび臭いと、あなたが考えたことを私が知ったら、それも私の気分を害したかもしれないわ。でも、気分を害しながら、生涯をすごすような人がいますかね?」
「ごめんなさい」
「ところで、モスボール(防虫剤)のことなんですけど。私は六十五歳を過ぎてから、それまでには経験したことがなかったモス・プロブレム(虫の問題)が悩みのタネになったわ。この問題について、あなたはどう思う?」
「僕には分かりません」
「若い人には、何故モス・プロブレムがないのでしょうね? 老人にはモスはベッドの友なんだけど、そうは思わない?」と彼女が尋ねた。
「すみませんが、少し疲れました」と僕は答えた。
「そうですか、分かりました。気がきかなかったわね」と彼女は言って、たばこを取り出して、足を引きずりながら、ドアの方へ歩いていった。彼女には人工股関節手術の後遺症が残っていて、明らかに足を引きずっていた。
「ここにはだれが住んでいるのですか?」と僕は尋ねた。
「私、マージ、ミア、メイ、そして今はマギーが戻っているわ。おそらく、メイはそれほどみかけないでしょうね。彼女は外が好きだから。かつては、もうひとりいたのですが、行ってしまった。決して戻らないと思うわ。行ってしまった」
「ここにいる人たちは、マギーの」僕は思い出そうとした。「おばさんたちですか?」
「そうよ」と彼女は言った。
「あるいは、そのようなものだわ。私のおしゃべりで、疲れさせてごめんなさいね。少女のころは、私はとても静かだと見られていたのよ。とても不思議なんだけど、年老いた今は、とてもおしゃべりになったわ。」
 彼女は優しくドアを閉めた。実際、ドアを閉めるのに、十分くらいかかったような気がした。ジェーン、もしかしたら、ドアをパタンと閉めたほうが、良かったのかもしれない。

0 件のコメント: