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2021年2月3日水曜日

ごごカフェ(天神祭り)

米国人へ
米国へ行きたくなるような国をつくってね!
僕は米国へは行きたくない。
ゴミだらけだから。
武器兵器はゴミです。
使用すれば死体の山、がれきの山ができるだけ。
みなさんは目が見えない。
豪邸や宝石などはゴミです。
いつになったら、目覚めるのかな?
猿の惑星のサルは人類のことです。
バードマン

日本人へ
天皇は金の奴隷です。金が無ければ何もできない。
バードマン




ごごカフェの天神祭りです。
役立たずの王が頭にかぶる王冠をアップした。
猿の惑星
不都合な真実
米国の天国
吸血鬼の飯
北朝鮮の「主体」です!
日本共産党の「農工一致」です!
新世界の新人類が出現!
農工一致と主体
自然農法


天神祭り


陶子さんへ
今一度、「猿の惑星」を観ることをオススメします。
人類の正体は悪質なサルです!
バードマン


陶子さんへ
悪質なサルだから、原爆を投下した。
悪質なサルだから、ベトナムへ枯葉剤を散布した。
悪質なサルだから、毒ガス室でユダヤ人を虐殺した。
善良なサルは、そんなことはしない。
バードマン


陶子さんへ
ビバリーヒルズには「ゾンビ」がたくさんいる。
ビバリーヒルズはゾンビの街です。
金の亡者が住む町です。
金の亡者はゾンビです!
ゾンビのストリートはウォール街と呼ぶ。
トランプが愛した壁です。
バードマン



日本のゾンビは兜町です。
鉄兜を被って、鐘をならす!
ご臨終です。ご愁傷さまでした・・・
バードマン


兜町
かぶとちょう
東京都中央区日本橋の一角。平安時代の武将、平将門の兜を埋めたという伝承などがあり、兜町と呼ばれる。1878年に東京株式取引所(現東京証券取引所)が置かれ、証券会社が集まった。日本で最初の銀行「第一国立銀行」の跡地や証券業界の信仰を集める兜神社などの史跡もある。



米国人へ
トランプは過去の人。過去は夢です。
トランプはどうでも良い。
米国にある大量のゴミのゴミ処理はどうするの?
排ガスも世界一です。
不都合な真実は米国がゴミだめだということです。
ゴミ処理をしてね! トランプはすでにゴミになった。
元々がゴミだった。米国人の知性の象徴です!
ゴミがゴミを生んで、ゴミだらけの米国。
武器兵器はゴミです!
使用すれば、死体の山、がれきの山ができるだけ!
全米ライフル協会は共和党だろ!
泣いた赤鬼
バードマン


ウォール街の表現の自由です。
カリフォルニアのホームレス天国です! これが米国の天国です!



ウォール街へ
だれがお前らに金を貢いでいるか、分かってんの?
資本家(吸血鬼) < 労働者(納税)
労働者が働くから、初めて金に意味が出る。
エッセンシャルワーカーが働くから、資本家が生き延びられる・・・
だれが吸血鬼の飯をつくっている?
バードマン




芸術家や文化人などへのオススメです。
バリシステム型アーティストになる。
本業は農家です。副業で工芸品などをつくる。
分かりますか?
自身がエッセンシャルワーカーになれば良い。
労働の意味が分かる。日本共産党の生きる道です。
日本共産党の「農工一致」です! 新世界の新人類です。
ロシア革命は「農工一揆」だった。旧世界の旧人類です。
バードマン


北朝鮮へ
欧米は自らの不正を棚上げして、経済制裁です。
仕方ないから、自給自足しろ!
お前らの意志は「主体」だろ?
正しい道です。鎖国して生きれば良い。
バードマン

主体思想
しゅたいしそう
政治形態
主体思想またはチュチェ思想とは、朝鮮民主主義人民共和国及び朝鮮労働党の政治思想である。 ウィキペディア
MR式: 2000年式: 英語表記: Chuch'e sasang; Juche sasang; Juche idea
ハングル: 주체사상


北朝鮮の方が楽だと思う。
世界は新システムへの移行です。
北朝鮮の浪費は小さい。小さな変化です。
米国の浪費は世界一です。大きな変化です。大変です!
バードマン


日本共産党の「農工一致」と北朝鮮の「主体」とは?
本業は田んぼで仕事して稲作です。
副業は仕事の合間に工房で英彦山ガラガラ(どれい)を焼いて小遣い稼ぎをする。
日本共産党株や北朝鮮労働党株は兜町やウォール街は買わない。
グレイトシステムは「自然の摂理」です。
アマゾンもサハラ砂漠もニューヨークも東京も大自然です。
福岡正信の「自然農法」です。自然の力に任せる。
自然は優しくもアリ、厳しくもある。
仕事は売上ではない。仕事は黒字です。
バードマン



福岡 正信(ふくおか まさのぶ、1913年2月2日 - 2008年8月16日)は自然農法の提唱者。
愛媛県伊予郡南山崎村(現伊予市)に生まれる。旧制松山中学校、岐阜高等農林学校(現岐阜大学応用生物科学部)卒。

若い頃は横浜税関の植物検査課に所属し研究に没頭していたが、急性肺炎にかかり死に直面すると、「この世には何もない」と悟り、仕事をやめ地元に戻り農業を始めた。「やらなくてもいい」ことを探しながら、つまり科学農法を否定するために多くの失敗を重ね、自然農法を確立していった[1]。

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