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2015年5月27日水曜日

ヘイローと解脱

キリスト教の聖人は頭上ににわっかがついている。

あれは、ヘイローです。

キリスト教の聖人も解脱しているんだろうな?

解脱の原義は自在のようだ。

自在
じざい

仏教用語。心が煩悩の束縛から解放されて自由となり,何事でも思うがままになしうる能力をいう。仏,菩薩にはこの力がそなわっているとされる。


  1. 仏教以外のインド一般の教えでは、輪廻からの離脱であるからむしろ空相的世界の意味が強く、仏教の場合も、部派仏教では無余涅槃を究極の目的としており、身心都滅(しんしんとめつ)にして初めて解脱であるから、空相的な意味が強い。 しかし、後の大乗仏教では解脱といっても、無住処涅槃の理想からいえば、生死にも涅槃にも囚われないまったくの無執着、逆にいえば任運自在の境地をいうとみてよいから、実相的な意味あいである。
解脱(げだつ विमुक्ति 、毘木底、ヴィムクティ、विमोक्ष 、毘木叉、ヴィモークシャ)は、
  1. 仏教においては、煩悩による繋縛からき放たれて、全ての執着を離れることで、迷いの苦悩の世界から悟り涅槃の世界へと出することを指す。
  2. ヒンドゥー教において用いられている究極的な意味合いにおいては、サマーディ(仏教の漢訳三昧)に入定し、サンサーラ(saMsAra 仏教の漢訳輪廻)の迷いの境界から脱することを指す。
  3. ジャイナ教においては、 モクシャ (ジャイナ教)という。
解脱を果たしたものを解脱者と呼ぶことがある。
このविमुक्ति (ヴィムクティ)、विमोक्ष (ヴィモークシャ)という言葉はけっして仏教のみの術語ではなく、ニルヴァーナ(nirvana)(仏教の漢訳涅槃)と共に古くからインドで用いられ、人間の究極の目標や理想を示す言葉として用いられてきた。

विमुक्ति もविमोक्ष も、共にमुच् を語根とする。これは「開放する」「放棄する」などの意味である。両者とも、全ての束縛から離れることであり、繋縛を離れて自在を得るという意味である。その意味で、古来「自在」と解釈されてきた[1]。それは、外からの束縛の解放や自由より、内から自らを解放することや自由を獲得することを重要視する。


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