宮田昇『新・翻訳出版事情 [著作権の周辺]』(日本エディタースクール出版部 1995)
翻訳大国と称される日本。だがこれは外国文学ファンの実感とは微妙に違うはずだ。訳が出そうで出ないもの、復刊待ちが多すぎる。
仏文学翻訳と関連したところでペヨトル工房、ベネッセ(旧福武書店)、小沢書店、冨山房百科文庫が最近姿を消している。京都の三月書房HPを参照。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/index.html#三月書房のページへようこそ
宮田が本書で引く統計によれば、1991年わが国の文学新刊書8,833点中日本の作品6,940、英米1,397、フランス文学は115(これでも英語以外の言語では群を抜く)。
英米文学の活況も内訳はハーレクインが40.3%、エンタテインメントが大半なのが実情らしい。最新の数字も知りたいが似たようなものではないか。
出版全体に翻訳書の占める割合はドイツで13.6%(1990)に対し日本は9.8%(91年)、同年の韓国では17.1%に上る。
新著作権法の施行された1971年には日本の新刊総点数の13.6%が翻訳書だった。そして宮田が翻訳書の割合低下の大きな理由と見るのが、新法での「翻訳権10年留保条項」撤廃なのだ。
旧著作権法では原著刊行後10年を経て正式契約にもとづく翻訳が行なわれなければ、その作品は翻訳が自由になった。ベルヌ条約にも当時あった規定にならったもの。(そこにはベルヌ条約が最初標的としたのが翻訳よりもリプリントの海賊版だったとの事情があるらしい)。
このあたりの史的経緯は面白い。日本のベルヌ条約加盟(1899)当時、東京書籍出版営業者組合は、日本語の特殊性と翻訳に要する労力を根拠に加盟に反対しているのだ。「文運の進歩」をはかるべき条約が翻訳の自由を禁じるのはその精神に反する、とも主張した由。業者の屁理屈とも言い切れないだろう。
「翻訳権10年留保」の適用される本は自由に訳せたので、時には同一作品に複数の翻訳が生まれた。無駄なようだが、競争は誤訳を減らし翻訳の質を上げた。何より外国の権利者に印税を払わずにすむ分、「労多くして報われることの少ない翻訳に創作並みの印税を可能にした」のだ。
著者も認めるように、翻訳の出版全体に占める比重低下は「軽薄短小」の読書傾向と無縁でないだろう。問題の一面でしかないにせよ、著作権法に注目した論点は新鮮だし、説得力がある。
日本は新著作権法で「10年留保」を廃した。この時、かつて東京書籍出版営業者組合が訴えた非西欧国での翻訳のむずかしさ、特例の必要をもっと海外に向け大声で主張するべきでなかったか。宮田は失われた機会を惜しむ。日本が折れたのは結果的に「東アジアの諸国が西欧諸国側と交わす著作権・翻訳権許諾契約に、歯止めを失ったことを意味している」
本書は主に新潮社の『波』に連載されたコラムからなる。内容は多岐にわたるが一本筋の通った本である。著者は翻訳権エージェントの経験からさまざまなトラブルを経験してきた。『戦後「翻訳」風雲録』(本の雑誌社 2000年)での翻訳の世界のどろどろした部分への視線はここでも感じられる。裏表紙に「わかりやすい実用書であると同時に、翻訳出版の原点と裾野を見通す好エッセイ」
アメリカは1989年までベルヌ条約に加入しなかったのだそうで、著作権上ややこしい問題を生んだ。また戦前の日本では海賊版翻訳がまかりとおったように思われているが、宮田はこれが「フィクション」だと言う。本の世界での著作権無視はラジオや新聞ほど顕著ではなかったし、まれに裁判に至った例でも無節操よりは著作権知識の不足がもとだった。とにかく太平洋戦争中さえ出版社は内務省の指導で印税を払い続けたのだ。
詳細は本をご覧いただきたい。一貫するのは欧米で海賊あつかいされる日本やアジアの出版人の名誉を守ろうという姿勢だ。翻訳権の手頃な入門書として手に入れたが、読後感はもう少し重たいものだった。
関連URL
宮田昇『戦後「翻訳」風雲録』からは、以前翻訳をめぐるこわい話・泣かせる話で引用させていただいた。
「翻訳権について」 藤原編集室通信・「本棚の中の骸骨」から。やはり宮田の『新版 翻訳出版の実務』を参考書に挙げているが、こちらはれっきとしたプロの編集者の文章。
http://www1.speednet.ne.jp/~ed-fuji/column-honyakuken.html
LES TRADUCTEURS 駐日フランス大使館HPには出版者に向けた日本の翻訳出版の現況概説がある。岩波はリュック・ボルタンスキーの訳を出したいが訳者がいない、など通ぶるにはもってこいの話が並ぶ。
http://www.ambafrance-jp.org/culture_formation/livre/edition_francaise/traducteurs/traducteurs.htm
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