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2017年11月5日日曜日

#ドラゴンマシン、阿智王。

阿智王を知っていますか?

阿知使主
あちのおみ

機織りを伝えた古代の渡来人。阿智王とも書く。古代の最も有力な渡来人の一族,東漢氏(やまとのあやのうじ。→漢氏)の祖。『日本書紀』によれば,応神20年,子の都加使主ならびに党類 17県の民を率いて来朝した。

同 37年に縫工を求めて都加使主とともに呉につかわされ,工女の兄媛(えひめ),弟媛(おとひめ),呉織(くれはとり),穴織(あなはとり)の 4人を連れて同 41年帰朝。畿内への途中,筑紫の胸形大神に兄媛を献じ,ほかの 3人をオオササキノミコト(仁徳天皇)に献上。また,履中天皇即位に際しての住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)の反乱では,平群氏や物部氏とともに履中天皇を河内から大和に逃がして守護している。この功により重用され,王仁とともに内蔵の出納を司った。『古事記』では阿知吉師(あちきし)と書いて阿直岐と同一人になっているが,『日本書紀』よりのち,坂上氏の伝えるところによると,阿知使主は後漢(→漢)の霊帝の曾孫で,後漢の滅亡に際して朝鮮の帯方に移住し,さらに七姓の民とともに日本に渡ったとされる。阿知使主は応神天皇に奏し,「旧居帯方の人民男女はみな才芸があるが,最近は百済と高句麗の間にあって去就に困っているため,これを呼び寄せたい」と進言,使者を派遣してその人民を勧誘し,帰化させたとある。

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