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2015年5月22日金曜日

世襲

世襲を否定はしない。

子息、子女が家業を継ぐのは悪いことではない。

だが、子息、子女が家業の適材適所とは限らない。

後継者は、血脈よりも、適材適所の方が社は繁栄する。

暴君ネロのような君主が出現することもある。

そういう意味で、王制よりも、民主制の方がマシだと思う。


ペルシャ王の息子は賢王になったが・・・


 ペルシャ王と王妃の庇護の下、ベーダー王子は成長して、教育も受けました。王子の好ましい様子と物言いは、年を経るにつれ、王と王妃を大いに喜ばせました。サレハ王や母君や親類の姫君たちがときどき王子に会いに来ました。王子は読み書きも上達して、地位にふさわしい教養も身に付けました。

  15歳になるころには、王子はとても賢く思慮深くなっていました。ペルシャ王は君主に必要なこれらの長所を生まれたころから見出していました。だが、日々高齢の欠点が見え始めていたので、死ぬ前に王子に王座を渡すことになると思っていました。ペルシャ王は引退を決意しました。議会の承認を得るのに大きな障碍はありませんでした。この話を聞いた人々はとても喜びました。人々はベーダー王子が国を治めるに値すると思っていました。王子は、王子に近づく人たちはだれにでも好意をもって接しました。好意をもって人々に返事しました。公正でない人でさえも拒否しませんでした。
 王位継承の儀式の日、普段よりも多い人々の中で、ペルシャ王は玉座を降りて、王冠を取り、ベーダー王子の頭に乗せました。そして、王子を玉座に座らせて、王位を譲った印として、王子の手に接吻しました。その後、王は玉座の下にいる大臣や王族の中に入っていきました。
 大臣、王族、主だった廷臣たちは、新しい王の足元に行き、それぞれの立場で、王への忠誠を誓いました。そして、首相がさまざまな重要な案件を報告しました。若い王は議会のみなが驚くような思慮深さと賢明さで、その案件に判断を下しました。それから、素晴らしい眼識で、内閣の人事を行いました。そして、先王を伴って、議会を出て、母君のグルネア皇太后に会いに行きました。皇太后は王冠を見て、若い王に駆け寄り、王を優しく抱いて、末永い良き治世を願いますと言いました。

  王位についた最初の年、ベーダー王は慎重に王の役割を果たしました。身の回りのことを知らせることに関心を払いました。そして、国民の幸福に貢献することに全力を尽くしました。次の年は、先王の指揮の下、議会を離れて、狩りを楽しむという口実の下に、都を出ました。ベーダー王の真意は国の隅々まで訪れることでした。そして、あらゆる不正を正し、良い沙汰を出し、良くない諸侯を排除し、辺境の地を訪れて、安全と平安をもたらすことでした。

  ベーダー王は計画を遂行するのに丸1年を要しました。王が戻ってすぐに、父である先王は回復の見込みがない重病に倒れました。先王は静かに最後の時を待ちました。先王の唯一の気がかりはベーダー王に忠実な大臣や官僚を推薦することでした。みなが先王の意思を受け入れました。そして、ついに、先王は死にました。ベーダー王とグルネア皇太后は深い悲しみに包まれました。そして、先王にふさわしい立派な墓へ遺体を安置しました。

 葬儀は終わりました。ベーダー王はペルシャの伝統に従って、1か月喪に服しました。その間、誰にも会いませんでした。父の死を悼み、悲しみに身をゆだねました。その間に、サレハ王と親類の姫君たちが王宮に到着しました。そして、グルネア皇太后と共に苦痛を分かちあいました。そして、慰めあいました。

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