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2015年5月19日火曜日

梵我一如

梵我一如であればよい・・・


あとがき

 人生は、仕事、生活、娯楽。僕の人生の出口は浄瑠璃世界の運営であり、シャングリラを見ることである。そして、人生の最後はあの世行き。冥土へ行くか? 極楽へ行くか? 悟りを開くとは、梵我一如となることだ。ブラフマンとアートマンが一体化すること。これはヒンドゥー、仏教の世界だ。僕はグレイトシステムと浄瑠璃世界の一体化を目指している。
 梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想である。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう。


「なぜ、ハネムーンの時に太陽が輝いている理由を話してはいけないのか」。これは、すべての理系男子、夢想家、天文部の部員が心の中で一度は整理しておくべき課題なのだろう。

結局、地上の取るに足らないような雑多なことも、宇宙の一部なのだから、宇宙といって、その広大さや大きな数や悠久の歴史にだけ言及することは、一種の焦点の偏りということなのだろう。確かに、人事は宇宙に比べれば些細である。しかし、その人事も宇宙の一部分であることも事実なのである。

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