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2015年7月30日木曜日

火野葦平@芥川賞

火野 葦平(ひの あしへい、1907年(明治40年)1月25日 - 1960年(昭和35年)1月24日)は、昭和期の小説家。本名玉井勝則。

福岡県遠賀郡若松町(現北九州市若松区)で沖仲仕「玉井組」を営んだ玉井金五郎の三男二女の長男として生まれる。自伝的作品『花と竜』等に書かれているように父・金五郎は現在の愛媛県松山市の出身、母・マンは現在の広島県庄原市の出身。

旧制小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)卒業、早稲田大学英文科中退。『糞尿譚』で芥川賞を受賞、その後の『麦と兵隊』は大きな評判をよび、『土と兵隊』、『花と兵隊』とあわせた「兵隊3部作」は300万部を超えるベストセラーとなった。著述業と共に「玉井組」二代目も務める。

麦と兵隊など、兵隊小説作家として知られるが、一方で河童の登場する作品が多く残る。その数、小説、随筆、童話などで、100点を超えるという。芥川龍之介を敬愛しているが、芥川が「フィクションによってしか語れぬ事実がある」と、河童を通して社会を風刺したのに対し、葦平は、「私の描く河童が理屈っぽく、風刺的に、教訓的になることを警戒していた」と書いている。また、「河童が私の文学の支柱であることになんの疑いもない」と書いている。[1]

三男・史太郎は、旧宅を利用した記念館「河伯洞」の館長。

なお、妹の息子(火野の甥にあたる)が、ペシャワール会の医師中村哲である。

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