だから、飯塚がシャングリラになるのです・・・
http://artharbour-ao.blogspot.jp/2012/09/blog-post_8621.html
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■8.アジアのアルカデヤ(桃源郷)■ イギリスの女流探検家イザベラ・バードは、明治初年に日本 を訪れ、いまだ江戸時代の余韻を残す米沢について、次のよう な印象記を残している。 南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉 場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕し たというより、鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、と うもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、 きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊 かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)で ある。自力で栄えるこの豊沃な大地は、すべて、それを耕 作している人びとの所有するところのものである。・・・・・・ 美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域である。山に 囲まれ、明るく輝く松川に灌漑されている。どこを見渡し ても豊かで美しい農村である。[4] イザベラ・バードは、この土地がわずか100年前には、住 民が困窮のあまり夜逃げをするような所であったことを知って いたかどうか。この桃源郷を作り上げたのは、鷹山の17歳か ら55年にもおよぶ改革が火をつけた武士・領民たちの自助・ 互助努力だったのである。 美しく豊かなのは土地だけではない。それを作り出した人々 の精神も豊かで美しい。病人や障害者は近隣で面倒をみ、老人 を敬い、飢饉では富裕なものが競って、貧しい者を助ける。鷹 山の自助、互助、扶助の「三助」の方針が、物質的にも精神的 にも美しく豊かな共同体を作り出したのである。
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