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2015年6月26日金曜日

人食い人種@神農

ダーウィンのビーグル号航海記に書いてあった。

どこぞの国では、腹が減ったら、犬より先に老婆を食う。

老婆よりも犬の方が役に立つから・・・


人を食う? 犬を食う? クジラを食う? 牛を食う? 羊を食う? 馬を食う? 豚を食う? ・・・


何を食ってよいか? 何を食ったらダメか?


文明、文化の在り方です・・・


みなさんで、考えましょうね?


薬草を食う? 毒草を食う?



神農


神農(しんのう)は古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。諸人に医療と農耕の術を教えたという。中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。

神農は中国における初めての部落連盟の名前ともなり、70世代に渡って古代中国を治めたという。また、世界最古の本草書『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)に名を残している。
伝説によれば、神農の体は頭部と四肢を除き透明で、内臓が外からはっきりと見えたという。
神農はまず赤い鞭で百草(たくさんの植物)を払い、それを嘗めて薬効や毒性の有無を検証した(赭鞭)[1]。もし毒があれば内臓が黒くなるので、そこから毒が影響を与える部位を見極めたという。
その後、あまりに多くの毒草を服用したために、体に毒素が溜まり、そのせいで最終的に亡くなったという。
淮南子』に、「古代の人は、(手当たり次第に)野草、水、木の実、ドブガイタニシなど貝類を摂ったので、時に病気になったり毒に当ったりと多く苦しめられた。このため神農は、民衆に五穀を栽培することや適切な土地を判断すること(農耕)、あらゆる植物を吟味して民衆に食用と毒草の違い(医療)を教えた。このとき多くの植物をたべたので神農は1日に70回も中毒した」とある[2]
周易』繋辞伝下に、「伏羲が没すると神農が治めた。神農は木を加工して農具を作り、農具のメリットを民衆に教え広めた。これは「益」という卦を参考にしたのだろう。また神農は昼に市場を開き、民衆を呼びよせた。市場ではあらゆる商品が集まり、人々が交易して帰ると、それぞれは望む物を手に入れていた。これは「噬嗑(ぜいごう)」という卦を参考にしたのだろう」とある[3]
炎帝は神農と同一人物視されてきた[4][5][6]。伝説では神農と黄帝は異母兄弟であり、炎帝の治める部落連盟は8代続いたあと、黄帝の率いる部落と衝突ののち合併・融合し、この子孫が後の漢族とみなされている。また中国国民党の政治家で中国古代史に深い造詣があった呉国楨は、その論文の中で炎帝の「炎」と、彼の伝えたと信じられている焼畑農業の炎との関係に言及している。 [7]
帝王世紀』には五弦の琴を発明し、また伏義の作った八卦を2段に重ね、さらに研究して8x8の64卦を作ったとある。[4]

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