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2015年4月1日水曜日

森英恵さん

森英恵さん

大昔、上京したばかりの頃、原宿の森英恵ビルへ行って、ファッションの研究をしました、笑い

花柄のスカーフが印象的だった・・・


三代目から見れば、先先代は太皇太后です。おばあさんです。

三代目は婿取りなのかな? 笑い

ペルシャ王の嫁取りは大変でした。

アラビアンナイトだから、魔法だらけです。


 
さびれた炭鉱の町。

中学生だった。テレビで見たパリのオートクチュールのファッションショウ。

あまりにも印象的だった・・・

だから、上京して、森英恵ビルへ行った。

結局、パリへは行けなかった。

ローマのスペイン広場?のブティック街をうろついた・・・

それで良しとしよう・・・


『VOGUE JAPAN』5月号「母から娘へ、受け継がれる美と才能」では、ファッション・デザイナーの森英恵を筆頭に、3世代がファッション界で活躍中の森一家にフォーカス。http://buff.ly/1C61kRe


蝶のデザインだったか・・・ そうだったかも?

僕が森英恵ビルへ行ったのは40年くらい前です。

森英恵の全盛期だな・・・

倒産しちゃったのね・・・

森 英恵(もり はなえ、1926年1月8日- )は、日本の女性ファッションデザイナーである。地域経済総合研究所評議員。森英恵ファッション文化財団理事長。

島根県鹿足郡六日市町(現在の吉賀町)出身、父親は医者。東京都立桜町高等女学校を経て東京女子大学卒業。1948年、学生時代に勤労動員の工場で知り合った元陸軍主計少佐・森賢と結婚する。 夫の家業であった繊維会社で働きながら洋裁学校「ドレスメーカー女学院」に通い、1951年(昭和26年)、新宿東口に洋裁店「ひよしや」を開いた。
1950年代の日本映画全盛期に、「太陽の季節」、「狂った果実」、「彼岸花」、「秋日和」、「秋刀魚の味」、「四十八歳の抵抗」等、 400本にものぼる映画の衣装を手掛けた。[1]
1954年、銀座にブティック&サロン「ハナヱ・モリ」オープン。[2]
1965年にニューヨーク・コレクションに初参加。蝶をモチーフにした女性的でエレガントなドレスが受け、マダム・バタフライと呼ばれてファッション界の話題になった。アメリカでの好評を受け、パリ・コレクションにも進出した。その後、洋服だけでなく、ハナエモリのロゴと蝶のマーク(田中一光デザイン)を冠したライセンス商法をスタートさせ、タオルや魔法瓶、トイレのスリッパに至るまで商品数を増やし、事業の幅を広げた。それまで小規模なビジネスであったクチュール業界において、百億円に近いビジネス拡大は世界のファッション業界を驚かせるもので、ファッションビジネスの未来を切り開いたとして評価され、1977年には、ファッション業界において最も権威的であり、非常に閉鎖的でもあったフランス・オートクチュール協会(Fédération française de la couture)から、アジア人として初めて会員として認められた。これらは、その後の日本人デザイナーの世界進出や、クチュールメゾン(デザイナーハウス)の巨大ビジネス化に寄与している。
顧客にはグレース・ケリー(モナコ王妃)、ソフィア・ローレンなどが名を連ねた。

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