文化村オーチャードホールで催された「春の祭典」「シャングリラ」は世界遺産クラスだと思っている。
それくらい素晴らしかった。
4/10/2008
春の祭典 - Stravinsky
Stravinsky 「Le Sacre Du Printemps」 PHILIPS
というCDを入手して、ライナーノーツを見たら、「やっぱりな」・・・ 「ぴんぽ~~~ん」
・・・
・・・
イーゴル・ストラヴィンスキー(1882~1971)の「3大バレエ」としてあまりにも有名であり、・・・なかでも『春の祭典』は、完全に開花しきったストラヴィンスキーのラディカルな本質が最も鮮やかに音と化した作品といえる。
『春の祭典』は、ストラヴィンスキーの心にひらめいた幻想が契機になって作曲されたものだが、作者自身はそれについて次のようなコメントを残している。
「私は、空想のうちに荘重な異教徒たちの祭典をみた。ぐるりと輪のように座った長老たちが、ひとりの娘が死ぬまで踊り続ける様を見守っていた。彼らは、春の神にいけにえを捧げるために、その娘を犠牲にしていたのである。この幻影から強烈な印象を受けた私は、その異教的なテーマを得意とする友人の画家ニコラス・レーニヒに話した。彼は、その話に熱心に耳を傾け、私の霊感を歓迎し、この創作の共作者になった。そして、その後パリでディアギレフに会った私は、このことを彼に話した。するとディアギレフは、この考えに熱中した」
ストラヴィンスキーは、先約済みの作品を完成させた後、直ちに新作の曲に没入することになったのである。
ストラヴィンスキーの第3のバレー音楽は、このようなプロセスを経て1913年の春に完成をみ、ピエール・モントゥーの指揮とニジンスキーの振り付けによって、1913年5月20日にパリのシャンゼリゼ劇場で初演されているが、その際にこの型破りな音楽をめぐって聴衆の間に大騒ぎが起きたことは、音楽史上の特に有名なエピソードのひとつになっている。
・・・
・・・
そして、このユニークな傑作が現代音楽の古典としての位置を獲得するまでには、それから多くの時間を必要としなかったのである。
・・・
・・・
このCDで聞いたら、どんな感じなのだろうか・・・
楽しみだ・・・
CDで聴いても、すばらしかった! Stravinsky...
感想は、一言で、
アルカイック・スマイル(Archaic Smile)を伴う、
アルカイック・リバイバル(Archaic Revival)です・・・
青柳洋介
追伸:すばらしいコンサートを聞かせていただいて、ありがとうございました。
みなさんに、拍手~~~
参考)渋谷のBunkamuraで『春の祭典』を初めて聞いたときの感想、、、
4/08/2008
ストラビンスキー - 春の祭典
TOYOTA MASTERS PLAYERS, WIEN at Bunkamura
ビックリ仰天した・・・
本格的なクラシックのオーケストラを聴いたのは初めて・・・
プログラムもよく見ずに行った。演奏が開始されて、第一部が歌劇だと知った。
聞き始めて、ストーリーを知りたいと思い、チラシを見た。
ロッシーニ :歌劇『絹のはしご』序曲
ドニゼッティ:歌劇『連隊の娘』より”さようなら” (ソプラノ/ローラ・タトゥレスク)
ドニゼッティ:歌劇『連隊の娘』より”ああ、友よ、何と楽しい日々” (テノール/コスミン・イフリム)
ドニゼッティ:歌劇『愛の妙薬』より”受け取ってちょうだい”(ソプラノ/ローラ・タトゥレスク)
ドニゼッティ:歌劇『愛の妙薬』より”人知れぬ涙”(テノール/コスミン・イフリム)
プッチーニ :歌劇『ジャンニ・スキッキ』より”私のお父さん”(ソプラノ/ローラ・タトゥレスク)
ヴェルディ :歌劇『リゴレット』より”女心の歌”(テノール/コスミン・イフリム)
ドニゼッティ:歌劇『愛の妙薬』より”そよ風に聞けば”(ソプラノ/ローラ・タトゥレスク、テノール/コスミン・イフリム)
これを見ながら聞いていると、何となくストーリーが見えた。幕間に係りの女の人に、このストーリーを書いたパンフレットなどはありませんか? と聞いたら、「ない」とのこと。そばにパンフレットらしきものがあったので、失敬した。タバコを吸いながら、パラパラめくると、各曲のあらましが書いてあった。なるほどね・・・ クラシックでもフツーの恋愛物語のような世界なんだ、な~~~んだ、と思った。のが、二部を聞いて、オオマチガイだと分かった。
二部は、ベートーベンとストラビンスキー。
ベートーベン :序曲「レオノーレ」
ストラビンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
ストラビンスキーを少し聞いてから、アンケートに
交響曲とは数学理論に基づいて構成した建造物のようなもの。
ベートーベン:コンクリートのビル
ストラビンスキー:迷宮のようなもの
と書いた(記憶によると)。。。
ところが、聞いていくうちに、摩訶不思議な世界に没入していった。そして、最後には
魔法の原理に基づいて建造した出口のない迷宮に迷い込んだ気がした、驚いた~~~、こんな世界を見たのは初めて、、、と書いたのかな? つまり、聞き終わると、「数学理論」が「魔法の原理」に変わってしまった。
そんで、拍手喝采した、、、
それから、ずっと、「ぶつぶつ」ひとり言を・・・ なんじゃ、これは一体ナンだ、こんなのどうやって作曲したんだ。楽譜をどうやって書いたんだ、、、楽譜は100枚以上あるんじゃないのかな? などと、ほんとうに迷宮に入ってしまった。
「春の祭典」だから、ストラビンスキーは春で頭がぶっとんでたんだろうな? じゃないと、こんなの作曲できないよな、こんな変な複雑な世界は・・・ どうやって作曲したんだ・・・ パターンらしきものがない?
歌劇を聞いて、クラシックも楽しいじゃん、どこにでも転がっているフツーの恋愛話じゃん、、とか思わせといて、、、こんな世界に連れ込むとは、、、罠にかかった、、、などとブツブツ・・・
ストラビンスキーは一体何人だ・・・ 次から次に疑問が出てきて、ほんとうに迷宮入りしてしまった・・・
そんで、バーでちょろっと飲んで、部屋に帰って、パンフレットをよくよく見たら・・・
■第一部:<大地礼賛>
序奏~春の兆しと乙女たちの踊り~誘惑の遊戯~春のロンド~敵対する部族の遊戯~賢人の行列~大地への口づけ~大地の踊り
■第二部:<いけにえ>
序奏~乙女たちの神秘的な集い~選ばれた乙女への賛美~祖先の霊の呼び覚まし~祖先の儀式~いけにえの踊り
だって、、、迷宮入りするはずだ・・・
まいった、でもすばらしかった・・・
楽団もこの難曲を演奏したよな~~~ 拍手~~~
生まれて初めて聞いた「春の祭典」、、、サイコーだった、、、
日本の「花見」の翌日に、西洋の「春の祭典」・・・
---Wikipedia
イーゴリ・フョドロヴィチ・ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky/И́горь Фёдорович Страви́нский, 1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシアの作曲家で、初期の3作品『火の鳥 』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』で特に知られる他、指揮者、ピアニストとしても活動した。サンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロモノソフ)に生れ、ニューヨークで没した。
青柳洋介
それくらい素晴らしかった。
4/10/2008
春の祭典 - Stravinsky
Stravinsky 「Le Sacre Du Printemps」 PHILIPS
というCDを入手して、ライナーノーツを見たら、「やっぱりな」・・・ 「ぴんぽ~~~ん」
・・・
・・・
イーゴル・ストラヴィンスキー(1882~1971)の「3大バレエ」としてあまりにも有名であり、・・・なかでも『春の祭典』は、完全に開花しきったストラヴィンスキーのラディカルな本質が最も鮮やかに音と化した作品といえる。
『春の祭典』は、ストラヴィンスキーの心にひらめいた幻想が契機になって作曲されたものだが、作者自身はそれについて次のようなコメントを残している。
「私は、空想のうちに荘重な異教徒たちの祭典をみた。ぐるりと輪のように座った長老たちが、ひとりの娘が死ぬまで踊り続ける様を見守っていた。彼らは、春の神にいけにえを捧げるために、その娘を犠牲にしていたのである。この幻影から強烈な印象を受けた私は、その異教的なテーマを得意とする友人の画家ニコラス・レーニヒに話した。彼は、その話に熱心に耳を傾け、私の霊感を歓迎し、この創作の共作者になった。そして、その後パリでディアギレフに会った私は、このことを彼に話した。するとディアギレフは、この考えに熱中した」
ストラヴィンスキーは、先約済みの作品を完成させた後、直ちに新作の曲に没入することになったのである。
ストラヴィンスキーの第3のバレー音楽は、このようなプロセスを経て1913年の春に完成をみ、ピエール・モントゥーの指揮とニジンスキーの振り付けによって、1913年5月20日にパリのシャンゼリゼ劇場で初演されているが、その際にこの型破りな音楽をめぐって聴衆の間に大騒ぎが起きたことは、音楽史上の特に有名なエピソードのひとつになっている。
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そして、このユニークな傑作が現代音楽の古典としての位置を獲得するまでには、それから多くの時間を必要としなかったのである。
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このCDで聞いたら、どんな感じなのだろうか・・・
楽しみだ・・・
CDで聴いても、すばらしかった! Stravinsky...
感想は、一言で、
アルカイック・スマイル(Archaic Smile)を伴う、
アルカイック・リバイバル(Archaic Revival)です・・・
青柳洋介
追伸:すばらしいコンサートを聞かせていただいて、ありがとうございました。
みなさんに、拍手~~~
参考)渋谷のBunkamuraで『春の祭典』を初めて聞いたときの感想、、、
4/08/2008
ストラビンスキー - 春の祭典
TOYOTA MASTERS PLAYERS, WIEN at Bunkamura
ビックリ仰天した・・・
本格的なクラシックのオーケストラを聴いたのは初めて・・・
プログラムもよく見ずに行った。演奏が開始されて、第一部が歌劇だと知った。
聞き始めて、ストーリーを知りたいと思い、チラシを見た。
ロッシーニ :歌劇『絹のはしご』序曲
ドニゼッティ:歌劇『連隊の娘』より”さようなら” (ソプラノ/ローラ・タトゥレスク)
ドニゼッティ:歌劇『連隊の娘』より”ああ、友よ、何と楽しい日々” (テノール/コスミン・イフリム)
ドニゼッティ:歌劇『愛の妙薬』より”受け取ってちょうだい”(ソプラノ/ローラ・タトゥレスク)
ドニゼッティ:歌劇『愛の妙薬』より”人知れぬ涙”(テノール/コスミン・イフリム)
プッチーニ :歌劇『ジャンニ・スキッキ』より”私のお父さん”(ソプラノ/ローラ・タトゥレスク)
ヴェルディ :歌劇『リゴレット』より”女心の歌”(テノール/コスミン・イフリム)
ドニゼッティ:歌劇『愛の妙薬』より”そよ風に聞けば”(ソプラノ/ローラ・タトゥレスク、テノール/コスミン・イフリム)
これを見ながら聞いていると、何となくストーリーが見えた。幕間に係りの女の人に、このストーリーを書いたパンフレットなどはありませんか? と聞いたら、「ない」とのこと。そばにパンフレットらしきものがあったので、失敬した。タバコを吸いながら、パラパラめくると、各曲のあらましが書いてあった。なるほどね・・・ クラシックでもフツーの恋愛物語のような世界なんだ、な~~~んだ、と思った。のが、二部を聞いて、オオマチガイだと分かった。
二部は、ベートーベンとストラビンスキー。
ベートーベン :序曲「レオノーレ」
ストラビンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
ストラビンスキーを少し聞いてから、アンケートに
交響曲とは数学理論に基づいて構成した建造物のようなもの。
ベートーベン:コンクリートのビル
ストラビンスキー:迷宮のようなもの
と書いた(記憶によると)。。。
ところが、聞いていくうちに、摩訶不思議な世界に没入していった。そして、最後には
魔法の原理に基づいて建造した出口のない迷宮に迷い込んだ気がした、驚いた~~~、こんな世界を見たのは初めて、、、と書いたのかな? つまり、聞き終わると、「数学理論」が「魔法の原理」に変わってしまった。
そんで、拍手喝采した、、、
それから、ずっと、「ぶつぶつ」ひとり言を・・・ なんじゃ、これは一体ナンだ、こんなのどうやって作曲したんだ。楽譜をどうやって書いたんだ、、、楽譜は100枚以上あるんじゃないのかな? などと、ほんとうに迷宮に入ってしまった。
「春の祭典」だから、ストラビンスキーは春で頭がぶっとんでたんだろうな? じゃないと、こんなの作曲できないよな、こんな変な複雑な世界は・・・ どうやって作曲したんだ・・・ パターンらしきものがない?
歌劇を聞いて、クラシックも楽しいじゃん、どこにでも転がっているフツーの恋愛話じゃん、、とか思わせといて、、、こんな世界に連れ込むとは、、、罠にかかった、、、などとブツブツ・・・
ストラビンスキーは一体何人だ・・・ 次から次に疑問が出てきて、ほんとうに迷宮入りしてしまった・・・
そんで、バーでちょろっと飲んで、部屋に帰って、パンフレットをよくよく見たら・・・
■第一部:<大地礼賛>
序奏~春の兆しと乙女たちの踊り~誘惑の遊戯~春のロンド~敵対する部族の遊戯~賢人の行列~大地への口づけ~大地の踊り
■第二部:<いけにえ>
序奏~乙女たちの神秘的な集い~選ばれた乙女への賛美~祖先の霊の呼び覚まし~祖先の儀式~いけにえの踊り
だって、、、迷宮入りするはずだ・・・
まいった、でもすばらしかった・・・
楽団もこの難曲を演奏したよな~~~ 拍手~~~
生まれて初めて聞いた「春の祭典」、、、サイコーだった、、、
日本の「花見」の翌日に、西洋の「春の祭典」・・・
---Wikipedia
イーゴリ・フョドロヴィチ・ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky/И́горь Фёдорович Страви́нский, 1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシアの作曲家で、初期の3作品『火の鳥 』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』で特に知られる他、指揮者、ピアニストとしても活動した。サンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロモノソフ)に生れ、ニューヨークで没した。
青柳洋介
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