国家有機体説(こっかゆうきたいせつ、英 organistic theory of the state、独 Staatsorganismus)とは、国家をひとつの生物であるかのようにみなし、その成員である個人は全体の機能を分担するものであるとする国家観。古くはプラトンに始まり、ヘーゲルやバーク、ハーバート・スペンサーらによって論じられている。社会契約説と逆の立場。
ヘーゲルによれば、国家とは、個を含む全体であるとともに、個の独立性をも許容し、高次の統一と調和を実現する有機的統一体だとする。バークによれば、国家とは現に生きている人々だけでなく、死者や将来生まれてくる人々との共同体であるとする。ヨハン・カスパル・ブルンチュリやハンス・ゲルバー、オットー・フォン・ギールケなどドイツ国法学者たちも、国家とは、単に法的組織にとどまらない、文化的多様性をもった歴史的存在としての倫理的・精神的有機体、つまり生命体であるとした。[1]
社会契約(しゃかいけいやく、英:Social Contract、仏:contrat social)とは、政治学、法学、哲学等で使われる用語で、ある国家内で、その国家とその市民との関係についての理論上の契約をいう。
社会契約論にも様々なものがあるが、近代的社会契約論の内容は、「国家」(state)が成立する前の「社会」(society)の原始的な自然状態を仮定した上で、国家の正当性の契機を契約に求めるという点にあるが、仮定する自然状態と、そこから国家の正当性を導く論理展開に様々なバージョンがある。もっとも、国家の正当性の契機は、どの立場に立とうとも、契約にあるので、王権神授説に基づく君主主権ないし国王主権は否定される。
社会契約論の原型は、古代ローマ、中世の西洋社会にもみることができ(参照:アーブロース宣言)、更には古代イスラエルや古代ギリシャにもみることができるとの見解もあるが、いずれにせよ古代・中世の社会契約論は社会と法律がこの契約によって初めて成立するものとはしていない点で「契約」思想というべきものである。
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