チャールズ・バベッジ(Charles Babbage、FRS、1791年12月26日 - 1871年10月18日[1])は、イギリスの数学者。分析哲学者、計算機科学者でもあり、世界で初めて「プログラム可能」な計算機を考案した[2]。「コンピュータの父」と言われることもあり[3]、初期の機械式計算機を発明し、さらに複雑な設計に到達した[4]。その完成しなかった機械の一部はサイエンス・ミュージアムに展示されている。1991年、バベッジの本来の設計に基づいて階差機関が組み立てられ、完全に機能した。これは19世紀当時の技術の精度に合わせて作られており、バベッジのマシンが当時完成していれば動作していたことを証明した。9年後、サイエンス・ミュージアムはバベッジが階差機関用に設計したプリンターも完成させた。
| “ | 1812年、彼は解析協会の自室で座って間違いだらけの対数表を見ていた。そして、機械に計算させればいいと思いついた。フランス政府はいくつかの数表を新しい手法で製作していた。数人の数学者が数表の計算方法を決定し、6人ほどでそれを単純な工程に分解して、個々の工程は加算か減算をすればよいだけにする。そして加減算だけを教え込まれた80人の計算手に計算させるのである。これが計算における大量生産的手法の最初の適用例であり、バベッジは熟練していない計算手を完全に機械に置き換えれば、より素早く間違わずに数表を作れるというアイデアにとりつかれた。[23] | ” |
バベッジの機械は初期の機械式計算機の1つだが、実際には完成しなかった。その最大の原因は資金問題と自身の性格の問題である。いくつかの蒸気機関で駆動する機械の製作を指揮して若干の成功を収め、計算を機械化可能であることを示した。その機械は扱いにくかったが、現代のコンピュータと基本的アーキテクチャはよく似ている。データとプログラムは分離されており、命令に従って動作し、演算器は条件分岐が可能で、本体とは別に入出力装置を備えていた。政府から10年以上に渡って総額1万7000ポンドの資金援助を受けたが、最終的に信頼を失って資金提供は打ち切られた[24]。
階差機関[編集]
1822年、階差機関 (difference engine) と名付けた多項式関数の値を計算する機械の設計を開始した。当時の他の機械式計算機とは異なり、バベッジの階差機関は一連の数値を自動的に生成するものだった。有限差分法を使うことで、乗除算を使わずに関数の値を計算できる。
1820年代初め、バベッジは最初の階差機関の試作にとりかかった。そのとき製作した一部の部品は今もオックスフォード科学史博物館にある[25]。この試作機が「階差機関1号機」へと発展した。しかし完成はせず、出来上がった部分はロンドンのサイエンス・ミュージアムにある。この階差機関1号機は約2,5000個の部品で構成され、13,600kgの重量で、高さは2.4mとなる予定だった。資金提供も受けたが、完成することはなかった。後に改良を加えた「階差機関2号機」を設計したが、バベッジ自身は製作していない。
階差機関2号機が実際に製作されたのは1989年になってからのことで、ロンドンのサイエンス・ミュージアムでバベッジの設計に基づいて19世紀当時の技術精度にあわせて製作された。1991年に完成し、31桁の計算結果を出力した。また、技術者で大富豪のネイサン・ミアボルドもこれを製作し、2008年5月10日、マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館に寄贈した[26][27]。それまで誰も製作していなかったため、これらはレプリカ(複製)ではない。
解析機関
階差機関の製作が破綻して間もなく、バベッジはさらに汎用的で複雑な解析機関を構想し始め、1871年に亡くなる直前までその設計を改良し続けた。2つの機関の主な違いは、解析機関ではパンチカードでプログラムを組むことができるという点である。プログラムをカードで用意することで、最初にプログラムを組めば、それを機械に入れるだけで実行することができる。解析機関はジャカード織機のパンチカードのループで計算機構を制御し、前の計算結果に基づいて次の計算を行うことができる。逐次制御、分岐、ループといった現代のコンピュータにも見られる特徴をいくつか備えており、完成していれば機械式装置としては初のチューリング完全な計算機となっていただろう。
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