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2015年7月17日金曜日

筑紫哲也への手紙@がんの治療

筑紫哲也さま

初めまして。青柳と申します。五月十三日の夜に、「NEWS23」の記者をやっている井本さんに久しぶりに会いました。その翌日に筑紫さんが肺癌を患っているという記事を新聞で見ました。これも何かの縁だと思い、手紙を書くことにしました。私も六年前に癌を患いました。今のところ、再発もしておらず、元気にやっています。私の場合は「口腔底癌」です。双子山親方が亡くなられた癌と同様のものだと思います。親方は私より後に発病なされて、お亡くなりになりました。私の経験を書きます。

二〇〇一年七月十日に、癌の告知を受けました。担当は西新宿にある東京医大の口腔外科の千葉教授でした。告知を受けた後は、ショックで何が何だか分からなくなりました。ニコニコ顔で話しかけてくる看護婦を見ていると、自分が別世界にいるように感じました。向こうの世界と自分の世界の間に見えない膜があるような気がしました。七月二十二日からバリ島に行く予定になっていました。二度と行けないかもしれないと思い、入院はその後にしてくださいと先生に頼みました。検査の予約を入れるように指示されました。知らない医学用語が次から次に出てきて、分けがわからないまま、院内を動き回りました。病院を出て薬局で薬を貰いました。気がついたときには西新宿のビルの谷間をぼーっとして歩いていました。自分がどこにいるのか分かりませんでした。はっと、正気に戻って、新宿駅に向かいました。
まずは、核医学による全身精査を受けました。七月十三日にガリウムシンチの注射を受けて、十六日に検査がありました。二十一日の土曜日に薬を受け取り、二十二日にバリ島へ発ちました。頭の半分くらいは癌のことを気にしていましたが、考えても仕方ないので、できる限り楽しみました。
八月一日に帰国して、二日にCT、エコーを行いました。三日に骨シンチを受け、六日に入院しました。八日に治療方針の説明がありました。肝機能障害のため(酒の飲みすぎでγ¦GTPが高かった)、化学療法はできないとのこと。まずは放射線治療をする。結果によっては手術を十月上旬に行う。癌とリンパの摘出を行い、摘出した部分に腕の肉を移植する。移植した肉が摘出した部分と癒着しない可能性が5パーセントある。癒着しない場合は穴が開いたままになる。十時間程度の手術になるとのことでした。
八月十四日にMRIを受け、十六日からライナック放射線治療を開始することになりました。いったん退院して通院で治療を受けました。九月五日まで、十五回の放射線治療です。最初のうちは何も感じないので、治療になっているのだろうかと不思議でした。十回を過ぎたあたりから、徐々に影響が出始めます。口の中が渇き始め、刺激物がだんだん気になってきました。担当の医者までが、「辛くなって途中で逃げ出す人もいるんですよ」とか言います。最後になると(九月五日)、もう限界だという感じです。治療後は、口の中はどろどろです。ピークは治療後、五日目くらいだったと思います。おもゆ、プリン、牛乳くらいしか口にできない。醤油も刺激が強くてだめ。豆腐もにがりの刺激で食えない。おもゆに納豆、スクランブルエッグ、鮭、うなぎなどを混ぜて、胃に流し込んでいました。でも、食欲は旺盛でした。口の中がカラカラに乾いて苦しみが続きます。特殊な薬剤を混ぜてうがいをすると、どろどろの唾液が出てきます。うがいをすると、少し楽になりますが、二時間もすればまた苦しくなる。こういう状態が二週間くらい続いて、少しずつ楽になっていきました。
九月二十二日ころから、耳下腺あたりが腫れて来ました。二十五日に高熱が出たため、救急外来に行き、抗生剤を処方してもらいました。熱が下がらないため、二十七日にも救急外来へ行きました。抗生剤の点滴を受けて、トンプクを処方してもらいました。夜十時ころ、熱が四十度になり、体が震えてきました。トンプクを飲むと熱が徐々に下がりました。二十八日の朝、病院に行きました。抗生剤の点滴を受けて、飲み薬を処方してもらいました。夕方六時に熱が四十度になりました。再度救急外来に行き、抗生剤の点滴を受けると熱が下がりました。帰宅後、今度は薬疹が発生しました。翌日は薬疹のため点滴は受けずに、ステロイド系塗り薬を処方されました。
十月一日に再入院しました。耳下腺炎もほぼ治まり、「手術は必要なし」と教授から告げられました。病院食も普通に食べられるようになり、十月十日に退院しました。

その後、一年間くらいは、口が渇いて刺激物はあまり食べられませんでした。飲み屋に水のペットボトルを二本持ち込んで、水を飲んでいました。水で酔っ払う方法を身につけました(笑い)。一年間くらいは、免疫力を上げる薬を飲みました。核医学やCTによる検査、血液検査などを五年間続けました。今は、六年目で、二、三ヶ月に一度、血液検査のみをやっています。何とか生き残こっています。今では、酒もタバコもやっています(懲りない性分なのでしょうか? 笑い)
癌患者として六年間過ごして考えたことなどです。

癌の三大治療には放射線治療、化学療法(抗癌剤)、手術があります。免疫力を低下させるので、三大治療は行なわないほうがいいという、極端な考え方もあります。
三大治療を行なった後は、免疫力を回復するためにひたすら休憩する。
放射線治療は免疫力を50%くらい低下させるらしいです。化学療法は30%くらい、手術は10%くらい低下させるらしいです。

人間には、毎日、100万個程度の癌細胞が発生しているらしいです。なぜ、癌になったり、ならなかったりするか?
癌にならない人は、免疫機構が働いて、発生した癌細胞を殺しているらしいです。
過剰ストレスなどにより、免疫機構が低下すると、癌細胞が勢力を増して、いわゆる癌になるという説もあります。癌のことを悪性新生物とも呼びます。
人間の細胞には、太古からの細胞を引き継いでいるものがあります。免疫機構をつかさどる細胞などです。太古の時代、単純な細胞の原生生物と生命になり損ねたウイルスが戦っていました。免疫機構をつかさどる細胞が、体内でウイルスや癌細胞などと太古の戦いを再現しているらしいです。
免疫細胞と悪性新生物やウイルスとの戦い。免疫はこれからの医療の大きなテーマのひとつだと思います。
免疫力に「ストレス」が絡んでいることは間違いないと思います。過剰ストレスやまったくストレスのない状態は、免疫力を低下させるみたいです。適正なストレス状態にあるときに、免疫力が一番高まるみたいです。
「笑う」のは免疫力を高めるみたいです。
免疫力を高める大きな要因に「食べ物」があることも間違いないと思います。

放射線治療をした経験からです。治療のために受けた放射線の後遺症の苦しみを考えると、核爆弾の放射能で焼かれた人の苦しみは想像を絶するものがあります。

筑紫さんの参考になれば幸いです。

平成十九年五月十五日
青柳洋介

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