ヘーゲルの「全体は部分の総和を越える」は否定済みです。
ヘーゲルは、ネットワーク(繋がり)というのを明確に認識していなかったと考えられます。
僕の論では、「その時点での部分の総和は、その時点での全体です」
繋がりが増えると、全体も増えます。繋がりが減ると、全体も減ります。
後は、ライプニッツの「予定調和」も否定しました。
これは、簡単なことです。宇宙は諸行無常である。変化は止まらない。
だから、パーフェクトな調和はありません。
逆を言うと、「全宇宙を見れば、変化しながら常に調和している」と考えています。
ある範囲に限ると、パーフェクトな調和はありえません。
そういう意味からすると、全宇宙を見れば、部分の総和は宇宙全体である。
ということだと思います。
西洋思想って、段階とか、階層とか、クラス分けとか、そういうのが好きみたいですね?
僕は、個人的には、人は「複素多様体」であってもいいと思っていますが・・・
この辺は、カオスとオーダーの折り合いの付け方の話かもしれませんが・・・
結局、原点に戻って、ソフィストではなくて、ソクラテスの
「無知の知」
ですかね(笑い)
同様に、最近の世の中を見ると、
「初心に返れ」
じゃないのかと思いますが・・・
青柳洋介
追伸:
繋がりが増えるといっても、全体主義の1枚岩では、脆いです。
どっか~~~ん、と真っ二つに折れます。
それよりも、複雑で柔軟なつながりのほうが強いです。
竹や柳、竹林の地下茎の繋がり。
複雑に張り巡らされた植物の根。でも、根はランダムに生えているのではありません。自然の摂理に従って、最適な根を張りますが・・・
青柳洋介
参考文献)ソフィーの世界
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