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2008年7月11日金曜日

ヘーゲルからマルクスまで

ヘーゲルの「全体は部分の総和を越える」は否定済みです。

ヘーゲルは、ネットワーク(繋がり)というのを明確に認識していなかったと考えられます。



僕の論では、「その時点での部分の総和は、その時点での全体です」

繋がりが増えると、全体も増えます。繋がりが減ると、全体も減ります。



後は、ライプニッツの「予定調和」も否定しました。

これは、簡単なことです。宇宙は諸行無常である。変化は止まらない。

だから、パーフェクトな調和はありません。


逆を言うと、「全宇宙を見れば、変化しながら常に調和している」と考えています。

ある範囲に限ると、パーフェクトな調和はありえません。


そういう意味からすると、全宇宙を見れば、部分の総和は宇宙全体である。

ということだと思います。


西洋思想って、段階とか、階層とか、クラス分けとか、そういうのが好きみたいですね?

僕は、個人的には、人は「複素多様体」であってもいいと思っていますが・・・

この辺は、カオスとオーダーの折り合いの付け方の話かもしれませんが・・・


結局、原点に戻って、ソフィストではなくて、ソクラテスの

「無知の知」

ですかね(笑い)


同様に、最近の世の中を見ると、

「初心に返れ」

じゃないのかと思いますが・・・


青柳洋介

追伸:

繋がりが増えるといっても、全体主義の1枚岩では、脆いです。

どっか~~~ん、と真っ二つに折れます。

それよりも、複雑で柔軟なつながりのほうが強いです。

竹や柳、竹林の地下茎の繋がり。

複雑に張り巡らされた植物の根。でも、根はランダムに生えているのではありません。自然の摂理に従って、最適な根を張りますが・・・

青柳洋介

参考文献)ソフィーの世界

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