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2008年7月5日土曜日

アリストテレス

アリストテレスはギリシャ最後の偉大な哲学者であり、ヨーロッパ最初の偉大な生物学者だった。

プラトンは「イデア」に、はまってしまって、「自然の観察」がおろそかになった。

アリストテレスは、まさに「変化」に、つまり「自然過程」に関心を寄せた。

プラトンは感覚世界にそっぽをむいた。逆に、アリストテレスは、自然に分け入って、魚や蛙やアネモネやけしの花を研究した。

プラトンは「理性」だけを用いた。アリストテレスは「理性」と「感性」を用いた。

プラトンは詩人や神話の語り手を想起させるが、アリストテレスの文章は簡潔で百科事典のように詳しい。

アリストテレスが書いた著作は講義録で、哲学は主に話し言葉の中に生きていた。

アリストテレスはさまざまな学問の基礎を作り、学問をきちんと組織に整えた偉大な科学者である。

アリストテレスはそれまでの自然哲学者たちが言ったことをまとめた。その後に、「論理学」を作り上げた。

アリストテレスは、プラトンのイデア説を本末転倒だと考えた。

つまり、アリストテレスは、具体物に共通してあるものを抽象化したものが「イデア」である、と主張した。イデアは元来的にあるのではなくて、経験から得られたものを抽象化したものにすぎない。

個人的なコメント:アリストテレスに同意します。プラトンからアリストテレスへの「コペ転」です・・・

つまり、プラトンは理性で考えたことが最高の現実だと考えた。

逆に、アリストテレスは最高の現実は知覚で捉えたこと、あるいは感じたことだとした。

プラトンは自然界にあることはイデア界にある何か、人間の魂にあるものが自然界の事物の反映だとした。

アリストテレスの考えはまるっきり反対だった。プラトンは人間の想像と現実の世界を取り違えた。一種の神話の世界観にはまり込んだ・・・

アリストテレスによれば、理性こそもっとも重要な人間のしるしだ。だが、理性は、人間が何も感じなければ、まったくの空っぽ・・・ 人間は生まれながらにしてイデアなど持っていない。

個人的なコメント:同意します。生まれてからオオカミに育てられたら、オオカミ人間になる。

現実は「形相(フォーム)」と「質料」が一体となってできあがっている。質料はそのものを作っている素材、形相はそのものたらしている固有の性質のこと。

質料にはかならず特定の形相をとる可能性がある。内に秘めた可能性を現実にしたがっている。そして、自然界のあらゆる変化は、質料が可能性から現実に変化すること。

だが、あらゆる形相は、何かになる可能性と、何かにしかならないという限定の両方を表している。

雨はなぜ降るか?

雲がちょうどそこにあったから ・・・ 質料因

蒸気が冷やされたから ・・・ 作用因

雨が降り注いだ ・・・ 形相因 (水の本性だから雨は降る)

アリストテレスの考えの一番大事な点は、

植物や動物が成長するのに雨が必要だから ・・・ 目的因

目的因は、ガイア仮説やシンクロニシティーなど考え方のベースになる・・・

「論理学」 まずは、分類

これは、オブジェクト指向のクラスとアトリビュートの話と類似している・・・

アリストテレスの論理学の重要な点は概念と概念を関連づけること。

リレーショナル・データベースの構築方法にも類似している。

加えて、推論や証明が論理的に正しいかの厳密な規則をいくつも立てた。

個人的なコメント:アリストテレスが第一起動者あるいは神と名づけたものは、個人的には、エネルギー(=波=物質)だと考えている。

「倫理学」

人間の形相には、植物の能力と動物の能力と、さらに理性という能力が備わっている。

アリストテレスの問い:

「人間はいかに生きるべきか?」「いい人生を送るには、人間には何が必要か?」

ソフィーの哲学者の見解:

「すべての能力と可能性を花開かせ、ぞんぶんに利用して初めて、人間は幸せになれる」

アリストテレスによる、幸せの三つの形。

幸せの第一の形は、快楽と満足に生きること。

第二の形は、自由で責任のある市民として生きること。

そして、第三の形は、科学者や哲学者として生きること。

アリストテレスは、この三つがすべて組み合わさったときに、人間は幸せに生きられると、力説している。三つのうちどのひとつにも偏ることも良くない。

そして、体だけに気を使う人は、頭しか使わない人と同じように一面的で、不完全である。両極端の生き方は、どちらも良くない(文武両道のことだと思う)。

徳について。「中庸の徳」。

臆病であっても、蛮勇であってもいけない。勇敢でなければならない。

ケチも浪費家もダメ。気前が良くなければならない(気前が良すぎるのが浪費家で、気前がなさすぎるのがケチ)。

食事。小食は危険だし、過食も危険だ(つまり、腹八分目だと思う)。これはギリシャ医学を想起させる。バランスと中庸が「調和のとれた人間」にしてくれる。

「政治学」

人間は社会的な動物だ。社会のうち、家族や村は、栄養や暖かさ、子育てのような生活の基礎を支える。社会のもっとも高度な形は国家だ(アリストテレスの時代)。

個人的には、グローバル化が進むと、コスモポリタン、ガイア仮説へと向かうと思う。

アリストテレスの国家の形態:

1.君主国家(専制政治にならないようにしなくてはならない)

2.貴族制国家(軍事政権というような形態にならないことが大事)

3.民主制(衆愚政治にならないようにしなければならない <- 今の日本?)

「女性」

残念ながら、アリストテレスは、基本的に女性は劣っていると考えたようだ。

こどもは男性の性質だけを受け継ぐ。男性は「種を蒔く人」、女性は「ただ種を受け入れて穀物を生産する大地のようなもの」と考えていたようだ。

あるいは、男性は「形相」を与え、女性は「質料」を提供する。

アリストテレスの考えは柳沢さんの「女性は産む機械」発言と似ている・・・


最後に、ソフィーの先生の言葉・・・

「自分から参加すること、自分で考えることが大切」

青柳洋介

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