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2011年4月24日日曜日

いよ~~~、真打登場、平成のみだれ髪

そして、わたしはドスッピンで公衆の面前に……寝起きで、顔も洗 わず、髪もとかさず、家を飛び出たのでございますよ。

@ ファミリーシークレットが暴露される@すっぴん






@ 歌集『みだれ髪』では、女性が自我や性愛を表現するなど考えられなかった時代に女性の官能をおおらかに詠い


@ 従軍していた弟を嘆いて『君死にたまふことなかれ』を『明星』に発表した。


@ 正反対の意味となる「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」など。このようなことから、反戦家としては一貫性がなかった


@ 1911年に『青鞜』発刊に参加、『そぞろごと』で賛辞を贈って巻頭を飾り、「新しい女の一人」として名を寄せた


@ 晶子は婦人参政権を唱え、『婦選の歌』を作っている。この歌は山田耕筰作曲で第一回全日本婦選大会において披露された。


@ 文化学院の創立に加わり、のち文化学院女学部長に就任した。


@ 『君死にたまふことなかれ』を前面に出してはいたが前述のように、一貫性がなく、当時『労農主義』として紹介されていたマルクス・レーニン主義も批判していた。


@ 平塚らいてう、山田わからを相手に母性保護論争を挑んで「婦人は男子にも国家にも寄りかかるべきではない」と主張した。


@ 反良妻賢母主義を危険思想だと見る文部省は取り締まり強化に対し、妊娠・出産を国庫に補助させようとする平塚らいてうの唱える母性中心主義は、形を変えた新たな良妻賢母にすぎないと論評し


@ 晶子は日露戦争後から新聞や雑誌に警世の文を書くようになり、評論活動をはじめる。評論は、女性の自立論と政治評論に分類できる。教育問題なども評論している。


@ 情熱的な作品が多いと評される歌集『みだれ髪』(1901年)や、日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』が有名である。『源氏物語』の現代語訳でも知られる。


@ 同年5月5日、読売新聞が「新しい女」の連載を開始し、第一回に晶子のパリ行きを取り上げ、翌6日には晶子の出発の様子を報じた(平塚らいてうなど総勢500余名が見送った)


@ 鳳志ようは、大阪府堺市甲斐町(現在の堺区甲斐町)で老舗和菓子屋「駿河屋」を営む、父・鳳宗七、母・津祢の三女として生まれた。実の兄にはのちに電気工学者となる鳳秀太郎がいた。9歳で漢学塾に入り、琴・三味線も習った


@ 5月19日、シベリア鉄道経由でパリに到着した晶子は、9月21日にフランスのマルセイユ港から帰国の途につくまでの4ケ月間、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、オランダなどを訪れた。


@ 浪華青年文学会に参加の後、1900年(明治33年)、浜寺公園の旅館で行なわれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と不倫の関係になり、鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表


@ その3連目で「すめらみことは戦いに おおみずからは出でまさね(天皇は戦争に自ら出かけられない)」と唱い


@ 平成のみだれ髪へ捧ぐ 王と兵隊と百姓 



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